約束 | 善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『寺(うち)においでよ』

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但馬、そこは兵庫の秘境。大自然に囲まれた静かで心癒される空間に悠然とたたずむ真言宗の御祈祷と水子供養の寺『善住寺』。目を閉じてください。聞こえてくるでしょう。虫たちの鳴き声 鳥たちのさえずり 川のせせらぎ・・・誰でも気軽にお越し下さい。寺(うち)においでよ!

文通していたおばあちゃんのお骨を引き取るために岡山まで行ってきました。

10月の末、自分の先はもう長くないと、お別れのお電話がかかってきたのです。

入院している大きな病院の病室からでした。


障害者同士の夫婦が子供もなく2人で暮らして来たものの、旦那さんの認知症がすすみ、自分が看届けなければと思っていたのに、先に逝ってしまうことへの無念。

そして自分が亡くなった後の気掛かり。


「お葬式はしなくていいんです。だけど骨はそちらのお寺に入れてほしい。どうしたらいいでしょう。」


僕は伝えました。

「誰もこちらに持ってこれる人がいないのなら、僕が受け取りに行きます。お医者さんでも親戚でも誰でもいい。僕に必ず電話してくれるようにだけくれぐれもお願いしておいてください。」



僕には苦い思い出があったのです。

あるおじいちゃんとしっかりと約束を結んで喜んでもらっていたのに、いつの間にか知らないところで全て終わっていて、数ヶ月後に亡くなったことを聞いて愕然としたことが。

 

 

何度か念押しをした後続けました。

「それとね、お葬式はお骨を受け取ってお寺に帰ってきてから、ちゃんと行います。戒名をお渡しして仏道へと結びつけないと僕の気が済みません。島根県などではお骨にした後のお葬式は普通です。だから、いろんな意味で安心していてくださいね。」


おばあちゃんは泣きながら声を絞り出しました。

「ありがとう。ありがとう。よろしくお願いします。そしてこれでお別れ。さようなら。今までありがとう。」

 

 

あれから二か月。
 

おばあちゃんの妹さんから訃報の連絡がありました。

残念でしたが、遠方に住んでおられるという妹さんにちゃんと遺言を託せていたことに安心しました。

 

僕はその日の夕方の仕事を終えてから岡山へ向けて出発し、近くで一泊して翌朝を迎えました。

岡山の葬儀社で遺体を安置していただいていて、家族親族が6名で見守っておられました。

喪主は認知症のおじいちゃんです。
 

昔のことはよく覚えているようですが、多分奥さんが亡くなったことも次の日になれば忘れてしまうような状態のようでした。


出棺時間の30分前に到着した僕は少しだけ読経して、葬儀は行わずに出棺します。

火葬場に着いたのは10時半。
 

そこでわずかな火葬式を行なって、それから収骨までの1時間半をご親族の皆さんのお話をして待っていました。

それはとても貴重な時間でした。

 

おばあちゃんには1人のお兄さんと、2人の妹さんがおられたのです。

たくさんたくさん、いろんなお話をしました。

 

 

故人は2歳の時に、掘りゴタツの炭の上に落ちて両足を大火傷しました。

片足はすべて指がなくくっついて、もう片足は指はあったもののケロイド状の傷跡が残ります。

それでもそのうちに不自由でもなんとか歩けるようになり、中学の頃には自転車にも乗れるようになりました。

それでも力の入る場所は片足の裏のくぼみのところだけと限られていて、急坂で止まりきれなくて道の下に落ちてしまったこともあったそうです。

やがてその両足もだんだんに悪化していき、20歳を過ぎた頃に切断。

両足に義足をつけての生活となってしまいました。

しかし持ち前の明るさとやる気でいくたびの試練を乗り越えていきます。

パラリンピックに出るほどではなかったものの、障害者スポーツに一生懸命取り組み、アーチェリーややり投げなどに活躍されました。

「なにか結構大きな大会でメダルもらってたな〜」とお兄さんが回想します。

また「その明るさとやる気は人を惹きつけ、周りの人にとても恵まれたんです」とは妹さんたち。

高校の時の修学旅行はあきらめていたのに、担任の先生がなんとしても一緒に行かせてあげたいと、全ての場所へおぶって連れていってくれたのだというのです。

大人になり、障害者雇用で入った中国銀行でも仲間に助けられ、なんと63歳まで勤め上げることができたのだそうです。

その後も自らが不自由にもかかわらず、高齢となった実のお母さんの介護もされ、最期まで見送ったと言います。

「子供の時の火傷は親の不注意で、恨んでても仕方のないことなのに、あの人が一番よく面倒みてくれてな〜」と兄妹皆が感謝を述べていました。



あっという間に時は経ち、収骨のアナウンスが流れました。

火葬場スタッフの方に説明していただきながら、お骨を壺の中に収めていきます。


「とてもしっかりとしたお骨ですよ」と言われたご兄妹は、「上半身の力は強かったものね」と微笑んでおられました。

僕は下半身のお骨がないことを改めて確認し、「よく頑張られましたね」と心で語りかけました。


おばあちゃんのお骨を託されて、僕はお寺に帰ります。

「なんでそんな遠くのお寺にするのって彼女に疑問を投げかけたこともありましたが、今日その理由がわかった気がします」とお見送りしてくださる妹さんたち。

3時間半かけて、晴れの岡山市から雪の新温泉町へ帰宅。



そして翌日の15時半から位牌堂で厳かにお葬式を行いました。



一対一での引導作法。

約束が果たせてよかったと、ホッとしました。



「おばあちゃん、こちらこそありがとうございました。
文通楽しかったです。いい関係を築いていただけて嬉しかったです。」



春には旦那さんやご兄妹もお寺を訪れてくださって、納骨をする予定です。



おばあちゃん、もう何も心配はいらないよ。

ちゃんとうまくいったから。

そして唯一の気掛かりであるおじいちゃんのことも、ちゃんと迎えに行くから。