我執に向き合う18 『どうせ愛されている』 | 善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『寺(うち)においでよ』

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但馬、そこは兵庫の秘境。大自然に囲まれた静かで心癒される空間に悠然とたたずむ真言宗の御祈祷と水子供養の寺『善住寺』。目を閉じてください。聞こえてくるでしょう。虫たちの鳴き声 鳥たちのさえずり 川のせせらぎ・・・誰でも気軽にお越し下さい。寺(うち)においでよ!

 自我執着をなくせといっても、自我マインドも生き残るのに必死です。

 例えば、
「自分を嫌い、自分は愛されていないということにする方が、生きるためには都合がよかった。」という自我の働きがあるとは、なかなか認めたくないですよね。

 嫌いなことにしちゃおう。愛されていないことにしちゃおう。
その方が都合がいいから。

 今都合がいいかどうかは知りませんが、少なくとも最初は都合がよかったのです。

 こんな執着がこびりついていることを人はなかなか認められないのですが、認めると手放していくことができます。

 これね、手放すと自分は満たされています。

 好きだし愛されているということを無意識はちゃんと知っているからです。

 だから自分を愛する必要も、大切にする必要もほんとはなくて、ただその執着を手放すだけでいいのです。

 大丈夫。
もうねじまげなくていいんです。

 どんなにジタバタしたって、

 どうせあなたは愛されています。