天といえどもこのわたしをどうすることもできまい 『菜根譚』 | 善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『寺(うち)においでよ』

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但馬、そこは兵庫の秘境。大自然に囲まれた静かで心癒される空間に悠然とたたずむ真言宗の御祈祷と水子供養の寺『善住寺』。目を閉じてください。聞こえてくるでしょう。虫たちの鳴き声 鳥たちのさえずり 川のせせらぎ・・・誰でも気軽にお越し下さい。寺(うち)においでよ!

天、われに薄くするに福を以てせば、
われわが徳を厚くして以てこれをむかえん。
天、われを労するに形を以てせば、
われ、わが心を逸(いつ)にして以てこれを補わん。
天、われを阨(やく)するに遇(ぐう)を以てせば、
われ、わが道を亨(とお)らしめて以てこれを通ぜしめん。
天かつ我をいかんせん。

もし天がわたしに貧しさををあたえようとするならば、
わたしは人徳を厚くして、
物は施すことができなくとも思いやりを施すことにより、これを迎えよう。
もし天が実際にわたしの体に労苦をあたえるのならば、
わたしは心を最大限に高めて、
労苦を労苦とも思わない心を養いこれを補おう。
もし天が障害を設けてわたし冷たく当たるならば、
わたしは迷いなく真理の道を進み、これを通りぬけて見せよう。
天といえども、このわたしをどうすることもできまい。


中国の古典の一つである『菜根譚』
仏典に準ずる扱いを受けて来た素晴らしい書物のようである。

その中の素晴らしい一節に出会えたことは幸せだ。
いい言葉を聞き、いい行いに胸打たれ、
自分を振り返り、変わりたいと願う。

心さえ波打たなければ、
心さえ揺るぎないものであれたら、
どんな苦しみにも乗り越えていけるのに・・・。

いざ壁にぶつかってからでは、泣きわめくしかできやしない。
恨むことしかできやしない。
苦しむことしかできやしない。
自ら死を選ぶこともあるかもしれない。

天と言えどもどうしようもできない心の大きさ。
丸さ。
温かさ。
深さ。
清らかさ。
豊かさ。

普段から徐々に徐々に養っていきたい。