1965年3月、平等な公民権と投票権を求める黒人の住民たち600人が、
セルマから85キロ離れた州都モンゴメリーに向けデモ行進を開始。
中心になっていたのは
非暴力を貫き通した「I have a dream」の
マーチン・ルーサー・キング牧師。
アフリカンアメリカンに対する公民権の過程を知る上で
ローザ・パーク(バスボイコット)、
ランチカウンター事件(黒人学生が白人専用に席に座る)、
フリーダムバスツアー(黒人と白人が同じバスに乗る試み)、
そしてこの映画が描くセルマの橋を渡るまでの
「血の日曜日(Bloody Sunday)」はあまりにも有名だ。
去年、
2014年8月ミズーリ州セントルイスのファーガソンで
またも丸腰の黒人少年が警察官に射殺され
死後4時間も路上放置された事の抗議から暴動へと発展するも
警察隊と州兵の武力行使で数百人の住民達は投獄。
11月、ブラウン君を銃殺した白人警官は無罪判決。
陪審員はほぼ白人で固められていたとの事。
このファーガソン判決後、地元住民の抗議デモの暴徒化を
今度は全米120群市の人々が後押しするかのように抗議のプロテスト参加をし
「Hands Up」「 Don’t Shoot!」の人々の姿は
全米中いや世界中が目にしていたと思う。
『Selma(グローリー/明日への行進)』はそんな中で
映画公開されていたのは、偶然の一言で片付けられる訳はなく。
映画は
キング牧師や黒人活動家達に対しての
当時の大統領ジョンソンの妨害や
州知事とFBI、警察と白人自警団の執拗な攻撃を描いたのは
「あの時代には多くの暴力があった。
でも私は暴力を、失われた命に対する畏敬の念を
啓発するものとして、こうした黒人たちの命には意味があった」と、
アフリカ系女性監督のエイバ・デュバーネイだから言い切れるのだろう。
リンカーンの奴隷解放宣言から150年以上経っているにも関わらず、
今も根強く続く黒人差別、権力者や警察の暴力にフォーカスを当てているのは
今年のアカデミー賞では主題歌賞を獲得しただけで
監督賞に至ってはノミネーションすらされていない。
偏った見方をすれば
ハリウッド業界では評判の悪いイラク戦争絡みのストーリーに
ヒーローを仕立て上げる共和党支持者クリント・イーストウッド作品の
「アメリカン・スナイパー」(主要キャストは白人のみ)が6部門にもノミネートされるという事は
白人だらけのアカデミー賞界隈の
マイノリティへの壁と彼女自身が戦っているからだろう。
アメリカというとカルフォルニアのビーチ沿いや
ニューヨーク特にマンハッタンを思い浮かべると、
多種多様人種の人々がグラフティアート、音楽、映画等の何を表現してもいい自由とか。
現実は逆。
現実は、
カリフォルニアやニューヨーク以外がアメリカ社会。
去年暴動が起きたミズーリ州や今年の春またも警官による黒人の暴行事件で
ボルチモア(メリーランド州)が暴徒化した州も含め、
特にミシシッピ、アラバマ、ルイジアナの3州はDeep Southと呼ばれるほど、
現在に至っても白人以外への見える差別、見えない差別は続いている現実。
聞いたところによるとKKK(白人至上主義者)活発化予報が
大学構内でアナウンスされるとか。
思えば、
幼少の頃テレビドラマ「ルーツ」を観て子供ながらに
理解してるのかしていないのかも分からないまま大泣きをして
(アフリカ大陸から奴隷としてアメリカにやってきたクンタキンテの話)
「カラーパープル」を泣きながら読み映画も観て、
そのカラーパープルの原作者、アリス・ウォーカーをかつて教えていた
ハワード・ジン教授(民衆のアメリカ史)の講義の中で
エメット・ティルの惨殺の状況を知った時には
我慢ができずに声を出して号泣していた。
(ビリーホリディの「奇妙な果実」のモチーフとなっている)
ある時、
アフリカ系の友人ネイトと車で移動中に警官に呼び止められ、
財布の中身、ポケットの中身、
車内の隅々まで調べ上げられ(薬物所持の疑い)、
ネイトだけが連行されそうになったその記憶が
しばらく頭から離れていなかったからだ。
月末ともなると警官は違反切符を切って点数稼ぎ、
狙われるのはマイノリティばかり。
そんな事がロサンゼルスの治安が良いとされるサンタモニカ周辺でもある現実。
治安が良いイコール有色人種(日本人含め)に寛容ではないという事実。
そのネイトにある時、素朴な疑問として
ビーチのサーファーにアフリカンがいないのは何故か?と聞いたら
プール学習で白人が黒人と同じ水に入るのを嫌がるから。
プールがあるのはまだいい方で、
多くは黒人エリアの学校は貧しくてプール設備にまわすお金がないから。
だから、泳げるアフリカンは少ないんだって。
同じ人間なのにそんな不条理な事があるのかと、
何も悪い事をしていないのにどうして意地悪をされなくちゃいけないのかと、
何か急に腹がたってアフリカンである当事者のネイトに
八つ当たりをしていた記憶。
それまで直前の大統領(ブッシュ)が散々だったので、
アフリカンアメリカンに限らず、
アメリカ国内の大半のマイノリティにとって
オバマが「希望」だとすれば
キング牧師は「夢」。
マルコムXが語ったのがアメリカの「悪夢」ならば
キング牧師はやっぱり「夢」なんだろう。
オバマは実像を人々に示す事ができるが、
キングは今となっては「夢」という忘失の過程になっていると危惧していた
ブラックコミュニティの声を聞いた事がある。
黒人指導者から反権力、社会批判の急先鋒であったキングであるはずなのに
暗殺後のキング牧師は理想論者としての表面だけが保守派層に利用される始末。
(日本総理大臣の安倍も今年春のアメリカ議会では引用(苦笑))
が、このキング牧師の「夢」を継承し牽引しているのが
ヒップホップ界のスターラッパー達だという。
すでにオバマが大統領になれたのも
ラッパー達の影響力無くして大統領2選はなかっただろうというのは
アメリカ国内なら周知の事実。
J.コールがブラウン君への追悼曲発表後、
ファーガソンへ向かいデモ参加の人々へ直接エールを送り、
オバマ大好きJeezyもファーガソン入りし、
Gameに至っては仲間達と「Don't Shoot」をリリースし収益は
マイケル・ブラウン基金に全額寄付。
ヒップホップ界きってのインテリジェンスのタリブ・クウェリは
デモで収監された人々の為に支援団体を設立し保釈金を用意したとか。
ジェイZとビヨンセにしても名前を伏せてどんどん保釈金を払ったとか。
地元出身のネリーは貧困が全ての原因だと若者の大学奨学金を用意しているとか。
教育支援についてはJ.コールも財団を以前から設立し
貧困エリアの学校に教育に関わる全てのものを援助しているらしい。
ファーガソンの暴動がきっかけで
現在のヒップホップ界を深く深く後追いしていると、
それが単なる商業的カルチャーではなく
すでにマイノリティ特にブラックコミュニティにおける
「神」または「キング牧師」と
「ギャングスタ」「もっとも小さきもの」の関係が
世界中に広まっているのは必然的な事。
ラッパー達は自分達の役割をすべき事の役割を言うべき事の役割を、
キング牧師から引き継いでいる自覚があるのだ。
キング牧師が暗殺された前日の演説、
「プロミストランド(約束の地)」の一説、
『わたしはあなた達と一緒に
プロミストランドへたどり着けないかもしれない。
けれど私たちは必ずプロミストランドへたどり着く』
投票権を獲得するまでにどれだけのアフリカ系の人々が亡くなったか。
そして新たな試練でもある有権者ID法は
共和党有利、マイノリティ不利に働くよう保守系州の裁判で
紛争が続いているとか。
そう来年は日本の先行きにも
必ず影響が出てくる大統領選挙が控えているからだ。
今年のアカデミー賞のパフォーマンスには本当に泣かされた。
Commonは
「ヒップホップは真実を伝える。
そして、人々の声を代弁し社会を変えるための力強い手段だ」と。
セルマにも活動家の役柄でキャスティングされている。
余談、憎たらしい州知事役はティム・ロスだったけど、
実はこのオーディションにロバート・デニーロが落とされていたと、
学生の前で明かしていた、それでも挑戦し続けろと。
主演のデヴィッド・オイェロウォ、
プロデューサーに徹したブラッド・ピットの後押しもあり言う事なし。
前年公開の「大統領の執事の涙」で脚光を浴び
「グローリー」は今年ホワイトハウスでオバマ大統領が鑑賞するという、
誰もが想像しなかったミラクル。
僕達は鎖を外したいだけ、
僕達は鎖を壊したいだけ、
僕達は自由になりたいだけ と涙ながらのコール。
ファーガソン暴動後2日後に自身のレーベルから音源リリース。
私自身この「Be Free」で胸がつまり、この日から日々がヒップホップオンリー。
「Don't Shoot」
ゲームの呼び声で総勢15名のラッパー達。
The Game ft. Rick Ross, 2 Chainz, Diddy, Fabolous,
Wale, Swizz Beatz, TGT and more 相当ヤバくて豪華な顔ぶれ。
しかもしっかりADVISORYマーク有り(笑)
言葉の武闘派集団で知られるウーターンクランの7年ぶりのアルバムは
やっぱり強い。どこまでも強くて現実を知らせる。
「どこかの不正を放置すれば、
いたるところで正義が脅かされる」とキング牧師のスピーチ引用。
「制服を着たやつらが黒人を殺している。
地球は流された多くの血の為に泣いている」と
映像はプロテストの様子をそのまま使用。