先日、娘とNHKの不登校についての番組を見ました。

 

不登校も、摂食障害も、自傷も

表現の仕方は違うけれど、

根っこの部分は同じなのかな、と思っています。

 

学校のあり方について考える番組でしたので、

籠もってしまった子が外に出るまでの

親・子の大変さやその道のりは

取り上げられていませんでした。

 

ただ、学校について

「(私も)勉強しなくちゃいけないから

やりたいことを我慢していた」と娘が言っていました。

学校でも塾でも成績競争、

義務感や期待に応えることでいっぱいになり

苦しくなってしまった娘。

 

今は、学校に貼り出される成績リストから

自分の名前は非公開にするよう

先生に頼んでしてもらっています。

そうやって、自分を守ることは大事だなと思います。

 

番組でフリースクールを運営する方が

「家の外に出るまでが大変」ということを

一言仰っていました。

娘も一時期外にでることを怖がっていました。

外に連れ出しても、

うつむいて首に手を当て、

不安そうにしていました。

人目が怖い、と言っていました。

 

娘が出席停止中の間、

夕方に毎日学校の先生とオンラインで

ホームルーム代わりとして面談していましたが、

娘は終わると震えて縮こまっているほどでした。

なので

わざと私は夕方に出掛けるようにして、

先生には

通院だの用事があるだの連絡して面談を

避けるようにしました。

(先生、ごめんなさい)

 

話が逸れました。

番組を見終わって

「母が外に連れ出してくれて良かった。

外に目を向けることができた」

と話してくれました。

 

色々連れ出し、楽しいと思えることをして

その中で、外の人と触れ合う機会があり

(もちろん、娘でなく私が

お店の人に聞いたり教えてもらったりしているのを

娘は見聞きしていただけですが)

そんなことを続けていたある時、

「案外人って怖くないんだな、って思った」

「けっこうみんなやさしいんだね」

と言っていたのを思い出しました。

 

そして、フリースクールにしろ、

安心できないと外に出ていけないよね、

どうしたら安心できるのかな?と

私が問うと

「肯定してくれると安心する」

はじめから否定しないで味方になって欲しい」と言っていました

 

以前の私は心配性でした。

とくに小学校高学年の頃、

娘の言動について心配のあまり

そうじゃなくて、こうするといい、

そんなことを言うことが多かったと思います。

 

それは私自身がその頃

友人関係をうまく築けずいじめられた経験から

そんな苦しい思いを

娘にはしてほしくなかったからです。

 

 

でも、結果的には

娘は自分のすることに自信がもてなくなってしまい

自分で判断して決めたり、こうしたい、が

言えなくなってしまったのだと思います。

 

親から信頼されていないと感じる子どもは

自分を信頼できない、

当たり前でした。

 

よく子どもをコントロールしようとする親、

という文字を見ます。

でも、当時自分はそんな事をしているとは

一切思っていませんでした。

自分は娘が心配でアドバイスをしている、

と思っていました。

 

そして子どもが素直なほど、

一生懸命親や先生の言うことをきこうとする。

 

「子どもを自然に育てる」

の意味がようやくわかった気がします。

 

娘が病気になって私に教えてくれました。