皆さんこんにちは。エニプラの増井・・・
おっと失礼。今回ばかりはこっちで名乗らせてもらいましょう。
765プロダクション所属、増井Pでございます。(P=プロデューサーの意味ですよ)
プロデュース業に日々勤しんでおります。

 

サブカルに造詣が深い方ならご存知だと思いますが一応説明しておきますと、
アイドルマスターと呼ばれるアイドルプロデュースゲームのライブ、
「THE
IDOLM@STER M@STERS OF IDOL WORLD!!2015」
が7/18,19と開催され、私両日参加してきました。


アイマスはなかなか歴史のあるゲームでなんと今年で10周年音符
その記念すべききらめく舞台の会場は、アイマス史上最大規模の西武ドーム、もとい西武プリンスドームで行われました。
私はP歴7年位なので10年選手とはいきませんが、かなり感慨深いものがありました。
私はライブ自体の参加は7thが初めてでしたが、ライブ会場の変遷はそれよりも前から知っていました。


ゲームセンターの片隅でひっそりとデビューした彼女たちは、一足飛びになること無く最初は小さな会場から。
それがいつしか幕張メッセとなり、横浜アリーナを埋め、さいたまスーパーアリーナを沸かせ、ドームに辿り着いたというわけです。
開演直前の満員になったドームを一望して始まる前から胸がいっぱいになりました。
アイマスにとってドームでライブをやるというのは深い意味があるのです。


さて、私、ライブが楽しみで楽しみでそれだけのために今までお仕事(エニプラの方)を頑張ってきました。
が、5月くらいから仕事が忙しく帰宅が遅くなる日が続きました時計
ライブ当日の休みは6月時点で確保していたのですが、前日は普通に平日金曜で仕事。
真夏の西武ドームに行くので体調を万全にしておきたかった私は我が社特有の特別休 

通称「趣味休」(アイマス休)を取得しましたパー
通常与えられる有給とは別に自分の趣味で休みがほしい時に一日好きに休んでいいよかわりにブログ書いてねといったものです。今書いているこのブログはそういうことです。趣味休制度は出来たばかりなので私が取得者一人目です。
趣味休は かなり取得しやすいナイスな制度 です。私はこんなかんじで取得しました。


6月中旬くらい
増井P「部長。ライブのために7/17に休んでいいですか? 例の趣味休で」
部長「いいよ」

今更ですけどホントにこんなんで良かったんですかねぇ・・・


今後もう少しキッチリしたものに変わるかもしれませんが休暇が取得しやすい良い会社ですね!そしてブログ用の写真撮影にも協力してもらいました。

 

 
 
ダイヤオレンジ買った物をきちんと装備した私 in エニプラ本社
バルログ持ちです(バルログとはストリートファイターのキャラで爪を装備している。バルログでピンと来ない人はウルヴァリンを想像しよう)

 

ダイヤオレンジタオル。

汗拭く用でしたが当日涙腺がガバガバになったので汗より涙を沢山拭きました。

 
 

俺がこの会社をいつかトップカンパニーになるようプロデュースしてやる。と思っている。(本当です!信じてください!)

以上!会社の宣伝でした!

 

そんなこんなで準備万端体調万全で当日キラキラを迎えました。
千葉県から出発して山手線に乗った辺りから、周りにPがどんどん増えていきました。
会場に着いた時はあまりの人の多さにびっくりしました。それもそのはず。約4万人いたそうです。すごいですね。

 

開演前にトイレ行くのに一苦労でした。
 

 
 

上矢印ドーム外観。でかい。ちなみに初日は小雨が降っていました雨
1週間前の天気予報だと台風が来そうだったのでこの程度で良かったです。
むしろ雨のおかげか涼しかったです風鈴
翌日は超がつくほどの快晴でなかなかにきつかったです晴れ

 

上矢印天海春香、島村卯月、春日未来。赤の系譜。

 


 


 

上矢印夏でアイドルならやっぱり水着ですね。今はあまりアイドルの水着ってないのでしょうか。
3次元アイドルには疎い私。

 
 

 
 

 
 

上矢印フラワースタンドヒマワリかなりの数がありました。
この周辺だけまるで花屋に来たみたいに花の香りが漂っていました。花屋なんて行ったことないですけど。

 

上矢印シンデレラ組の衣装。再現度高いですね。ヒールを履いて10cmの背伸びです

 

上矢印入り口。右からズラッとアイドルですラブラブ

 

上矢印アップ。私の担当アイドル、如月千早が写っています。7年前からずっと千早担当です。

 


上矢印事前物販も含めて今回私が購入したもの。公式サイリウムは初めて購入しました。
100円の使い捨てに比べてとてもいい出来で記念にもなるし買ってよかったです。
写ってないですけどTシャツも2日分買いました。ミリオンライブのCDは残念ながら売り切れてしまっていましたあせる
合計が結構なお値段になりますが、こういう時はジャンジャンお金を使うのが正しいと思います。そのために働いていますグー


そういえば物販に並んでいた時係員の人が、今から並ぶと開場ではなく開演に間に合わなくなる恐れがあります

としきりに言っていました上差し
開演の3時間くらい前に並びだした私はそんなバカなもやもやとか考えていましたが、
全く進まない列に並んで30分くらいたったとき、暑さから来るものではなく精神的な面から来る汗を流していました。ビビりまくりですあせるあせる
結果を言うと1時間位で買えました。余裕で間に合いましたグッ
暑さ対策のために私の肝を冷やしてくれた係員さんありがとうございました。


こんな感じで沢山写真を撮りました。会場内の撮影はNGなので私の写真は無いですが、公式が会場内の写真を上げています。
光り輝くサイリウムの海がとてもきれいなので是非検索して一度御覧ください。

ドームの中に入って改めて広さを感じました。
ドームと呼ばれるところに来たのは初めてだったので驚いてばかりです。
自分の席に座って今か今かと開演を待っていましたグー


2日間で100曲位あったのですが、全部に感想をつけているとあまりにも冗長になるので初日で特に印象に残ったものを綴っていきます。

今回のドームライブにおいて、私がどうしても生で聞きたいと思っていた、いわばライブの目的となるものが3つありました


その内の1つは開演直後に聞くことが出来ましたひらめき電球

何年も前からこのセリフを聞いていて、実現は難しいのではないだろうかと思いながらも、
淡い期待を持ち続けていて、ついにドームで聞けた、そんな言葉。

「プロデューサーさん!ドームですよ!ドーム!」

この中村繪里子さんの掛け声と共に代表曲「THE IDOLM@STER」のBGMが流れ、
客席からは割れんばかりの歓声が響いた時、一瞬で視界が滲みました。
あの時の気持ちは100万の言葉を用いても伝えられない位、心にまっすぐ来ました。すごくよかったです。

まさに最初からクライマックス状態でしたが、余韻に浸る間もなくライブはどんどん進んでいきました。
西武ドームは密閉されていないので、昼間は会場の中が明るかったのですが日が沈むと会場の中も暗くなり、サイリウムの光が一層綺麗にドームを照らしていました。

アイマスのライブは曲順がパターン化されていて、序盤にアップテンポな盛り上がる系の曲がきて、
中盤にメドレー、終盤にバラードとなることが多いのですが、
他のライブもそうなのでしょうか?目的の2つ目、細氷」という曲はバラード系だったため最後の方に来ましたひらめき電球
細氷は私の担当アイドル、如月千早の新曲です。
ゲームのストーリーと相まってとても好きになった曲でした。生で聞きたくて仕方なかったので聞けてよかったです。
CDとは違った生の迫力とでも言うのでしょうか。
今井麻美さんの熱唱を見聞きしていると、ステージ上では本当に千早が歌っているように見えました。

 

心地よい疲労感で満たされているなか、ライブもいよいよ終わり間際
3つ目の目的であるあの曲が流れるであろう、そんな内容のMCを中村さんが話していました。
7年前、アイマスのためにXBOX360を購入した私。
そしてプロデューサーになったあの日に選んだ、アイドルに対しての一番最初の選択肢。

「運命の出会いを信じてる?」

この言葉に返答するような中村さんのMC

「__運命を感じて欲しいな…。曲名は…『Destiny』!!」

この日何度目になるかわからない感動を味わいました。巡り会えた奇跡。
これまでと、そしてこれからもといった内容の素晴らしい歌詞の歌です。
数年分のたまりにたまった思い出ボムが炸裂しました。最高でしたビックリマーク

 

感慨に耽っていると10thのテーマ曲「アイ MUST GO!」が流れライブの終わりが近いことを感じました。
タイトルが言葉遊びになっているこれまたいい曲です。
その後アンコールで「M@STERPIECE」、「虹色ミラクル」、「THE IDOLM@STER」が披露され約5時間に渡る夢のような時間は幕を閉じました


曲名「M@STERPIECE」の名に恥じない正に傑作のライブでした。
そして中村さんの「私たちをここまで連れてきてくれて本当にありがとう」の言葉を聞いて、今までずっとアイマスが好きで本当に良かったと心から思えました。

初日だけでも大満足でしたが2日目もすごく良かったです。とても書ききれない良い思い出になりました。アイマス最高です!!

さて、長々と書きましたがそろそろ終わりにします。
これからも私はアイマスとGOな感じで行きますので来年やるであろう11thライブが終わった辺りにまたブログに出現するかもしれないです。
ではまたその時にでも。以上、増井Pでした。