前回、この世界は未来のシミュレーションゲームでは?という説を書きました。
まさかのブッとび説!(^◇^;)・・のように思えますけど、そう考えると説明できるような・・辻褄があっちゃうことが、けっこうあるんですよね!
まず、宗教などには、「色即是空」「唯識(ゆいしき)」「この世はまぼろし」「マーヤ」というような思想があります。
VRだと、まさにそうですよね! (実体はありませんよね)
哲学でも、プラトンの「洞窟の比喩」= わたしたちは、実体ではなく 影を見ている と言われます。
(「ニュートン」より)
そして科学の分野でも、「空間は幻かもしれない」「この世界は2次元のホログラムのようなものかもしれない」という考え方が出てきています(ホログラフィー理論)
VRゴーグルで考えると、「空間はない」というのも説明ができちゃいますね。
量子力学では、物質は原子レベルで見れば実はほどんどが空間のスカスカ状態で、実体はないように言われます。
そして、わたしたちが観察することで、波動は粒子となり、物質は存在できる、とも言われます(観察者効果)(見ていないものは存在しない = アバウトな物質世界・・みたいな?? ( ゚д゚))
これもVRゴーグルで考えると、「プレイヤーが見ることで初めて世界が存在する」と言え、説明がつくような気がします。
(プレイヤーが今ゴーグル内で見ている映像以外は、その時点では存在していませんよね)
これから科学技術が進歩して、車は空を飛び、再生医療は進歩して、臓器を3Dプリンターで作れるような時代もそう遠くないかもしれません。
労働はロボットがしてくれて、いずれ人の仕事のほどんどをAIが担うことが想像できます。
そうすると生活は、趣味、娯楽の方向にシフトする・・
創作活動、映画、ゲーム、エンターテイメントの分野が、これまで以上に発展していくでしょう。
よりリアルに、より五感を本物そっくりに、より没入できるゲームが求められるかもしれません。
「ゲームだとわからないゲーム」
未来なら、もうゴーグルがなくても、直接脳に信号を送ったり、意識を飛ばす技術があるかもしれません。
そして一時的に実際の記憶もキャンセルできるとしたら・・
「アバターそのもの」になってしまえるわけです。
「アバター」を自分自身と思い込む・・??
「汝自身を知れ」「汝自身であれ」
「本当の自分を思い出す」(アバターではなく本体の自分?)
昨今言われている「目醒め」とは、そういうことを言っているのかもしれませんよね?? ( ・∇・)
(な〜んて、もちろん、トンデモ論ですよ〜 ( ´ ▽ ` ))