ニール・ドナルド・ウォルシュ「神との対話」の中に、ニールさんが神と対話できるようになったきっかけについて書かれている所があります。

 

 

 

わたしは神に宛てて手紙を書こうと考えた。

 

 

どうして、私の人生はうまくいかないのか。うまくいくためには、何が必要なのか。

 

こんなに、もがき続けていなければならないなんて、私がいったい何をしたというのか。

 

 

驚いたことに、回答のない苦々しい質問を書き終えてペンを放り出そうとしたとき、わたしの手は見えない力で押さえられているように、紙にのったままだった。

 

 

 

 

ふいに、ペンが勝手に動きはじめた

 

 

何を書こうとしているのか、予想もつかなかったが、わたしはともかく手が動くのにまかせた。

 

すると・・。

 

 

「あなたはほんとうに、すべての質問の答えを知りたいのか、それとも八つ当たりをしてみただけなのか?」

 

 

 

・・・そうして、ニールさんと神との対話がはじまりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エックハルトトール「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の中の、冒頭に書かれた著者の覚醒の場面です。

 

 

 

ある晩、著者は強烈な絶望感に襲われました。

 

自問自答するうちに、頭の中でつぶやいていたひとり言がピタリとやんでしまう奇妙な感覚に、ハッとします。

 

 

 

次の瞬間、わたしは、まるで竜巻のような、すさまじいエネルギーのうずに引きよせられていきました。

 

 

 

わたしはわけがわからず、恐怖でガタガタと震えはじめました。

 

その時「抵抗してはなりません」というささやきが胸に飛びこんできたのです。

 

すると、なぜか、恐れは消え去りました。

 

わたしが観念して、エネルギーのうず「空(くう)」に身をゆだねると、わたしはみるみるうちに、その中に吸い込まれていきました。

 

そのあと、なにが起こったのかは、まるっきり記憶にないのです。

 

 

翌朝、小鳥のさえずりに、目を覚ましました。

 

わたしが目を開けると、力強い朝日が、カーテンを貫いて、わたしの部屋に降り注いでいました。

 

この時のわたしは、このまばゆい光が「人間の英知をはるかに超えた、無限ななにか」であるということを、あたりまえのように知っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タデウス・ゴラス「なまけ者のさとり方」には、こう書かれています。

 

 

「大声で文句をいい続けていると、高次の意識を一瞬のぞかせてもらえることもあります」

 

 

「天の神様が、” ではちょっと天国を見に来ますか? ” といってきて下さることもあります」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これらは、「一つ上の次元から、何者かが介入してきている」と言えると思うんです。

(・・介入できるんですね!? ( ゚д゚))

 

 

 

 

・・ということは、見ている者がいる』ということになりますよね!!

 

 

 

 

 

 

・・・誰??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見ている自分」? なのか??

 

 

 

 

曼荼羅は見ている者がいて成立

 

 

 

 

 

アバターじゃなくて、本体の自分?? (・Д・)

 

 

 

 

 

・・・なのかどうか?はわかりませんが、人智を超えた何らかの、「上の次元からの介入があった」ということになるのでは(?)、と思うのでした・・( ゚д゚)