「耳なし芳一(ほういち)」という昔話があります。
お寺に住む盲目のびわ法師の芳一(ほういち)は、ある時亡霊に取り憑かれてしまいます。
それを知った和尚は、芳一の体中に経文を書きました。
その夜、亡霊が芳一を迎えに来ましたが、経文に守られた芳一の姿は亡霊には見えませんでした。
しかし和尚が芳一の耳にだけ経文を書くのを忘れてしまったため、亡霊には両耳だけは見えてしまいました。
亡霊は「迎えに来た証拠に」と芳一の耳をもぎ取って帰って行きました。
耳は失ったけれど一命を取り留めた芳一は、もう亡霊に憑かれる事はなく、いつしか「耳なし芳一」と呼ばれるようになりました。
というお話です。
ちょっと怖いお話ですが・・^^;
これって、お経を書いたところは波動が高くなっていて、亡霊には見えなかったという事だと思うんです。
その場所だけ次元が上がっていたというか。
書き忘れた耳だけが波動がそのままになっていて(次元を上げることができずに)亡霊には見えてしまったということ。
上の次元からはまる見えでも、下の次元からは上の次元はほどんど見えないんだと思います。
そして次元といえば、次元を説明するのに必ず取り上げられる有名な本があります。
「フラットランド」たくさんの次元のものがたり。
これは、今から130年ほど前刊行された、イギリスのSF小説です。
「2次元の世界」に住む主人公が異なる次元世界を体験する物語です。
主人公のスクエア(正方形)氏 はフラットランドに住む数学者です。
彼はある日突然、3次元世界からの来訪者「球」に出会うことになります。
球はスクエア氏に、2次元世界よりも高次元である「高さ」を説明しようとします。
しかし、スクエア氏はその概念を理解することができません。
そこで球は、スクエア氏を2次元世界から引きはがし、実際の3次元世界を彼に見せるのでした・・・
というお話です。
「Newton 次元のすべて」には
「 この小説の2次元世界の住人に3次元世界が理解できないように、もしも私たちの世界が4次元空間(あるいはもっと多くの次元が存在する空間)であったとしても、3次元世界に住む私たちには、”感覚として”4次元世界を理解することはできないでしょう 」
と書かれています。
下の次元からは上の次元の概念は理解できない。
存在していても、それを感じることはできない。
アインシュタインは言っています。
「いかなる問題も、それが発生したのと同じ次元で解決することはできない」
もしかするとこの世界のあらゆる問題も、上の次元だと、問題ですらないのかもしれません。
そもそも、この世界は、上の次元でのゲームのようなものなのかも。
いつか ” 上の次元 ”を知覚する時がくるのでしょうか。
だとしたら、それはいったいどのようなものなのでしょうか・・・??
ね、アインシュタイン?^ ^