大好きな文章があります。
好きすぎて声に出して読んじゃうくらい!
アラン・ワッツ「ラットレースから抜け出す方法」からの抜粋です。(長文です!(๑╹ω╹๑ ))
世界がはじまった瞬間っていうのはないんだ。
どうしてって、それは輪っかみたいにぐるぐるまわっていて、輪っかには始まりの場所というものがないからさ。
時間はぐるぐるまわっているね。
世界もそれと同じように、何度も何度も同じことを繰り返しているんだ。
世界にも、昼や夜、寝たり起きたりすること、生きたり死んだりすること、夏や冬などがある。
こういったことは、どちらか片一方だけというわけにはいかない。
白と並べて見たことがなかったら、黒がどういう色なのかはわからないし、白だって黒と並べて見なければわからないだろう。
そういうふうに、世界が在るときもあればないときもある。
もし世界が休まずにいつまでもいつまでも在りつづけていたら、自分にうんざりして飽きちゃうからね。
世界はやってきては行ってしまう。いま見えたかと思うと、もう見えない。
そうやって、世界はまだ自分に飽きずにいるから、いつでも消えてしまうとまた戻ってくるんだ。
かくれんぼとも似ているね。
新しい隠れ方を見つけたり、けっして同じところには隠れない人を見つけ出したりするからこそ、いつもそれがおもしろいわけだ。
かくれたのニャ♪
神さまもかくれんぼをするのが好きだ。
でも、神さまの他には何もないから、自分としか遊べない。
それでも彼は、自分が自分ではないふりをすることで、この問題を乗り越えている。
それが、自分から隠れる彼のやり方なんだ。
ばれた?
彼は、君や私や世界のあらゆる人たち、あらゆる動物やあらゆる植物、あらゆる岩、あらゆる星になったふりをする。
そうやって、彼は不思議なすばらしい冒険をする。
ときには恐ろしいものやひどいものになることもあるが、そういうのは悪い夢みたいなもので、彼が目を覚ませば消えてしまうんだ。
キャー!!(((;゚Д゚))))
神さまが隠れる側になって、君や私のふりをするときにはすごくうまくやるから、自分がどこにどうやって隠れたのかを思い出すのに長い時間がかかる。
でも、そこがおもしろいところなんだ ー 彼はそれをやりたかったのさ。
彼は、自分をあんまり簡単には見つけたくない。
遊びが台なしになってしまうからね。
私たちは変装して自分ではないふりをしている神さまなんだということに気づくのが、君や私にとって、こんなにもむずかしいのはそのためなんだよ。
でも、この遊びがうんと長くつづいたなら、やがて私たちはみんな目を覚まして、もうふりをするのをやめるだろうし、私たち全員がただひとつの(自己)なんだ ー そこにあるすべてのものである神さま、いつまでも生きつづけるあの神さまなんだということを思い出すだろう。
物語のスリルというのは、善い人たちがどうやって悪人をこらしめていくのかを見つけ出すことにあるからだ。
トランプをするときも同じだ。
ゲームを始めるとき私たちは、カードを全部切ってバラバラにするよね、その一枚一枚は世のなかの悪いものごとみたいなものだ。
でも、ゲームで大切なのは、そのバラバラをうまい順序に並べることで、それをいちばんうまくやった人が勝つんだ。
それからカードをもう一度切ってまた遊ぶ。
だから、世界とおんなじだ。
これを初めて読んだ時、「これこそ真実じゃ〜ん!^o^」と思っちゃいました。
「退屈」だったから始めたこの世界。
「目醒め」の時は近づいているのでしょうか ?? (๑╹ω╹๑ )