庭の水路を造っている時。
小さいシャベルで溝を掘っているわけだか。
延々と掘っていくと泣けるほど辛くなる。
砂利がいっぱいで硬くてシャベルでないと掘れない。
それを延々と1人でやっているとくじけるわけ。
こんな時は次男が手伝ってくれたよなぁー。と、なんか泣けてきた。
くそ、くそと掘り続けた。
掘り終わっていっぷくしてるとき
ふと気付いた。
くそくそと思ったあとは何故か苦痛を感じなかったこと。
そんな事を思い返していると映像が浮かぶ。
シャベルを右手にかがんでいる私のた肩に左手を乗せてシャベルを持つ私の右手に右をを添えて手伝ってくれているすがた。
次男が手伝ってくれたんだと。
3о年9月8回にこのよをさった次男。
あれから幾度と無く次男の思いを聞いている。
語りかけてくるんだよ。
私も、今はそういったことを書けるようになった。
やっぱり波はあるけれどね。
この間は
『 楽しかった。』と伝わってきた
産まれずに体も持たずにそばに居るのは辛くもある。
でも、産まれて身体を持ち与えることも話す事も沢山のことが出来た。だから、楽しかった。
辛いことも有ったけど楽しいことに比べれば大したことはない。
何も出来ないことに比べれば、それは楽しいことに違いないんだよ。
人は、有る、とゆう視点から物事を見て、自分が認識する普通とゆう視点から物事を計っているから。
それは無いとか失ったと認識する。
でも、実はそれは違う。
すべての視点が違う。
無いことはなく失いもしない。
有ったという事実があった