最近、雨が多いから。
庭の水の排水が非常に気になる。溜まるのよね。
豪雨でも1時間もすればひくのだけど。
気になる。庭のど真ん中に溝を掘って流してるけど。
私の美的センスが許さない。
もっとキレイに流れないものかと試行錯誤!
で、どうしたものかと考えていると、映像が浮かぶ。
こうしてこうしてなあやって、と。
数年前に映像で見たのは、庭の東から西に向かって美しく水が流れる様。流れる先は西の角。
そこは、地下に水派があるからそれに沿って流れると、何故か思う。
で、西の角を掘ってそこに流し込む。水かはけて行く。
掘りましたよ。
結果、大成功。
惚れ惚れするくらいに水が吸い込んで行く。
なまりの美しさに見とれてしまった。
でも、今日、また大雨。
排水しきれずにたまりはじめた。
どうも気にくわない。
そこで、この間見た映像を思い出す。
掘った場所の横に排水管を通す
映像だった。
今のまただと水量に間に合わないからもっと掘れと。
で、掘りましたよ。
でも、途中でなぜか方向転換。
以前掘った穴の拡張工事をし始めた。
Aの方法ではなくBの方法になった。
『すべては、切っ掛けに過ぎはい。これと言っもこれではなく、このようにと言ってもそれも違う。問題は、その入り口に気がつくこと、そしてそれをどうしたいのかどうするのか、どうしたのかを自分自身の行動を見つめること。何を思い何を考え何を動かし何を奪い何をあたえ何を失い何を得たのか。人が何かをしようとした時、また、何かをした時、先にあげたことを必ずしている。誰かに与えることは素晴らしいことだ。だが、その時同時に誰かからそれを奪っていることを知っているか。知らず知らずにしていることが罪でもある。有限の世界において定められたら事実。それを考える時から組すること。その上で実行しそうした事への責任を背負いながらそれを行うこと。人は綺麗なままでは生きられない。何かをつかめば他の何かを切り捨てている。必ずだ。だが、切り捨てたくはないと何もつかまないのも愚かな事。これであってこれでなし。それであってそれではしとはそうゆう意味だ。すべては自由意志。その自由には大きな責任がともなう。その責任を背負って生きること。みなか自由の中に生きている。誰も他を攻めることは出来ない。あなた自身にさえも。だが、その責任から逃れられもしない。逃げれば追われる。向き合えば追われもしない。立ち向かえば相手は逃げて行く。そうして生きて居る者は光が違う、力が違うすべてが違う。そうして生きて居る者には、風が力を貸し追い風が吹く。貴方には感じられるか、風の声が・・・・・。』
あー。話がそれた!
で、水が沢山流れるようになったわけ。
で、ずーっと流れに沿って歩いて見ていたのよね。
庭も中々広いからゆっくりと流れる様を見ながら歩っていたら。水の中に蛇のしっぽが見えたわけ。えっ!って見なおしたら居なかったけど。
家の庭の真ん中に流れる雨水が小川みたいで綺麗でね。そのを蛇が嬉しそうに泳いでた感じ❤
大きさは3о~40センチ位かな。
そう言えば、この間そのくらいの蛇庭で見たよ。これは実物だよ。
夜中12時頃、眠れないので何となく庭に出たの。
何となく歩って行った先に、足音にビックリしたんだろうささっと蛇が逃げ出した。
最近めっちゃ蛇。
買い物に行った時も、勝手に足か動いた。止まった先はヘビ柄のバックの前。
買わないヨーと思っても足が動かない。何とか動いたと思ったらピタッと足が止まる。何?と思うと。
また違うヘビ柄のバックの前。
買わないよ。とまた歩き出したら、さっきのヘビ柄のバックの前でまた止まる。
仕方ないから買いましたよ。
で、さて帰ろうとした時、目の前のお客さんのはいていた靴がヘビ柄だった。
いつでも蛇尽くし❤
最近思うよ。
歩いている時も、今、歩いているのは私か?とネ
字を書いても、後から見ると誰が書いたの?と思う。
以前作った粘土細工をこの間まじまじ見たけど。誰が作ったの?って思った。
今、浮かんだから書いてみるけど。
『世の中には、普通といったものは無い。よって最高もなく最低もない。善悪もなく、ましてや1番2番などと順位もない。みなが思って居るより多くの個性があり、タイミングがあるだけだ。人々が示した枠内を保護し枠外を排除する。または認めないとゆう風潮があるが、何の意味もなく毒にしかならん。それらの風潮が差別を生み出し、そうすることによって自らを上位に置こうとする。そういった風潮は自らを下に押し戻す風を自等か作ったとも気付かずに。自らをその枠に留め置き囲い者にしている。』