そと・・
知るには、自分を中心としたところでは知ることは出来ない。
自分とは知るものの中のほんのわずかな一部に過ぎない。
実のところ、皆は何も知らない。
知らないからこそ、怒り 悲しみ 妬み 苦しむ。
何故苦しむのか?
何故 悲しむのか?
何故 ・・・。
悲しむべき理由は?
それは知らないが為に自分か作り出した虚像により自分を追い込んだ結果。
自分とは何か・・
それすら本当は知らない。
自分が認識している自分は、自分ではない。
自分など何処にもない。
だが、在らねばならない。
在らねばならぬのなら、在らねばならぬ自分を作り出す。
それも中々ままならぬが、そこを見定めること。
在らねばならぬ自分とはどんな自分か?
金持ちの自分か?
そこもまた違う。
ものはふさわしい者について回る。
金を求めれば逃げる。
自分にふさわしい者になれば、おのずと物もついてくる。
つまりは、人に物に好かれる自分になること。
自分も人も物も、どこにも分け隔てはなく同じ存在。
そうして物事を見れば全体が見え
外 そと を見ることかできる。
外が見えれば自分の左り方も見えてくる。
そして、在るべき自分も見える。
すると、すべてが一体だと知ることか出来る
よって、悲しむ意味を知り
怒る事を押さえ。
妬むことの無意味さを知る。
それらすべてのものは、さらなるすべてのものと繋がっていて、自らの思考の小ささを思い知る。
感情、思考、あなたに与えられたすべてのものは、あなたから派生したものではなく他から生まれたものであって、あなた自身のものではない。
あなたがたは、それらのものを自分のものだと思いこみ、かたく抱きしめて放さない。
そうしてそれらを取り込んで自分のものにしている。
それらのものが自分とゆうものの根底に在るものだから。
真実を見ることかできない。
真実を見るには、自分がいつもクリアでなければならない。
色眼鏡を掛けていて真実の色を見ることができるか?
体重計の針が0でないのに正確にはかれるか?
小さな窓枠から水平線を見て、その関大さを感じ取れるか?
自分のクリアー
自分のOゼロ
自分の窓枠
それらを知るのには自分1人では知ることは出来ない。
他人の窓枠の小ささを見て笑うな。
笑っている時点で笑っている者の方が小さいのだと気付くこと
それらを見せてくれているのだと気付くこと
そうなるまいと気付くこと
気付かせてくれたことに感謝する事。
笑う前に手をあわせられる自分であること。
そこで笑ってしまえば
怒ってしまえば
悲しんでしまえば
無に終わる。
無に終わればいいが1歩後退する。
だが、世の中の仕組みは良くできていて
無駄なものは1つも残さない。
それもやがては糧となる。
こうゆう時こそが飛躍の時。
目をこらし耳をすまし、よく見よく聞き、物事の流れるさまを見てみるといい。
何事も滞りなく流れている。
そう見えないのは、窓枠のせい
そう見えないのはoゼロでなないから。
そう見えないのは、自分という色眼鏡を掛けているから。
信じることだ。
自分とゆうものを信じることだ。
自分の責任の元で自分を信じる。
誰のせいにも出来ぬ。
自分を信じることはすべてを信じること。
そういった者には、すべてから信じられる。
風や木々
人や花
すべてはすべてだ。
すべてが後押しをする。
自分た信じられる自分で在ること