あぬきちの妄想トラベル ~はれときどきゾウ~ -3ページ目

あぬきちの妄想トラベル ~はれときどきゾウ~

現実と妄想をいったりきたり。たまにゾウ。

あれは午後9時過ぎくらいのことだっただろうか。
僕は、台北駅へと向かうMRT(地下鉄)のホームに立っていたと思う。


「青年よ」

突然、老人に話しかけられた。
老人は擦り切れた野球帽をかぶり、紺だか黒だかのウインドブレーカーのようなものを
羽織り、元が何色だかわからないズボンを穿いていた。
ひび割れだらけの手は、洗っても二度と落ちないであろう何色かに染まっていて、
爪はボロボロだった。

「青年よ、早く寝ろ」

「え?」

「早く寝るんだ」

唐突にそんなこと言われても、なんと答えればいいのだ。

「…あなたは何者ですか?」

「私かね。まあ待ちたまえ。」

僕は首をかしげた。黙っていると、

「お前は答えを急ぎすぎる。現代人の悪い癖だ」

こう言われては、ますますなんと言えばいいのだろう。

「では、お前は何者かね?」

まずい、老人のペースだ。
僕は警戒心を強めながらも、なんだか中国故事みたいだなと思った。
この老人はもしや仙人だろうか?
僕は杜子春だろうか?

「答えられないだろう。私は何者でもない、お前と同じようにな」

台北行きの電車がホームに入ってきた。
僕が乗ろうとすると、老人が止めに入った。

「次の電車にするんだ。それまでおれがいいことを教えてやろう」

「何です?」

「君の健康のことだ。夜は早く寝るんだ。」

「はあ」

「今は肺と血液が良くない。早く寝れば良くなる」

「はあ」

「ところでおぬし、暖かそうなものを持っているな」

ギクッとした。
僕はかばんの中にヒートテックのタイツを防寒用で持っていた。
この老人はかばんが透けて見えるのか?
仙人だからだろうか?

「それじゃよ、それ。褒美はそれでよいぞ」

「…」


この日は、朝から台北市内、故宮博物館、淡水、西門町と歩き回っていて、
僕は心身ともに疲れきっていた。
だから、これが実際に起きた本当の出来事であったのか、まどろみの中に
一瞬訪れた絵空事であったのかどうか、僕にはいまだにわからない。

ただ事実として、僕の荷物からヒートテックタイツがなくなっているのだ。
そして翌々日、熱が出て会社を休んだ。


僕は何者なのだ?