前回の最後に、支援学校へ通う事を希望した次女のお話をしたけど


入院生活中、次女は特別支援学校の分校でもある院内学級に通っていた


夏はプールをしたり、農作業もあったり、クッキングの時間があったり。もちろん勉強もしてた。


小1からほぼ学校にも行かずに中1になった次女。


初めて毎日まともに通ったのが院内学級だった。


自分でも通える、自分でも出来る


この経験のおかげか、入院生活の途中から退院後の進学を主治医や本人、ケースワーカーや私で話し合い


特別支援学校


への転入を希望した。


初めは住んでいる市の教育委員会の方達もそれがいいかもしれないとなったけど、どうしても引っかかるのがDQの高さ…


何度も何度も話し合い、支援学校を希望したけど市からの返答は結局NO


主治医もケースワーカーも頑張ってくれた…この子が今後通えるのは支援学校だと…でも結局地域の支援学級の判断となり、とりあえず退院前に学校との面談に行った


その時、校長と教頭と話したんだけど


まず第一の難関…


感覚過敏により制服が着れない事


この話をした。すると…


感覚過敏?なんか痛いとか言うよね?

でも僕はあぁいうのは我慢が足りないだけ、わがままだと思うんだけどね。

私服は流石に学校の授業時間は許可する事が出来ない。

体操服や指定ジャージで登校するか、早朝か夕方に私服でお母さんと登校するならいいけど…


もうね…空いた口が塞がらないとはこの事…

まだこんな事言う教師がいるのかと…


早朝や夕方に私と登校する事が義務教育として成り立つのか?


その後も色々話したし、診断書なども出すと話したけど一向に制服の件は認められず…


結局地域の支援学級に、籍を置き新しく出来るあすなろ教室(不登校の子が通う場所)に通う事になった。


本当は電車で30分ほど行けば支援学級の子達が通うあすなろ教室もあったんだけど、毎日電車で送り迎え…

当時私は免許がなく産まれて間もない三女を連れて毎日送ってその3時間後にまた迎えに行く…


現実的に考えて無理だった…


だから結局家の近くに出来る新しいところに行く事になったんだけど、そこは自習制の場所だった…


ほぼ勉強もせずにきた次女…


自分で用意した課題を朝から昼まで1日5〜6時間1人でやる。


わからないところは先生がいて聞けるけどずっと自習スタイル…


2日だけ行ったけど、結局その後完全不登校に逆戻り…その後次女がどこかへ通学できる事はなかった。


中3になる時に校長先生が代わり、私服でもなんでもいいしもし来れるなら来れる時間だけ自由に来たらいい!


そう言ってくれる先生がきたけど、その時にはもう時すでに遅し…


今更何を言っても次女は


もう2度と行かない。


そう言って最後まで一度も中学には行く事なく義務教育を終えた…


退院するタイミングで校長が変わっていたら…もしかしたら行けたかもしれない…そうしたら高校にも行けたのかもしれない…


そんな思いは残るけど…これもタイミングだから…


感覚過敏で服が着れない子が実は多くいる事、そんな子達も通える制度がいつか出来てほしい…


そんな事を思うから私はこれからも発信し続けると思うし、こうして不登校になる子がいる現実を多くの人が知ってくれますように…


サムネイル

今日はここまで!

本当は入院中のリズムを退院後崩したくなかった。でもやはり通常では対応してもらいにくい…
DQが高くても困っている子は多くいる…それをすこしでも多くの教育の場が理解してほしい。

毎朝6時に更新予定♪

次回更新をお楽しみに!


いいねやフォローありがとうございます!

めちゃくちゃ励みになってます♡


かとまな

アメトピ掲載!

出産直前まで親にもバレずに15で子どもを産んだ話下差し


自閉症の次女が入院する事になったお話下差し『自閉症の娘を通報したのは私』やっほ〜前回のあらすじ!障害児通園施設から地域の支援学級に入学した次女。でもそこはもうちょっと頑張ってみようの世界だった。もうちょっと頑張ろうに疲れたり、時…リンクameblo.jp