ぺこのブログ -37ページ目

ぺこのブログ

南大阪在住のアラフォーママです。
気持ちの整理のためにブログ始めました。

息子が帰ってきた後は、完全に日常生活が戻ってきていた。

涙なんか流していられないし、いつも通り晩御飯を作って片付けをして、歯磨きや遊び相手をした

その間も、明日は仕事休まなあかんなと冷静に考えていた。

翌朝、会社に休むことを連絡してクリニックへ。

流産とは言えず、体調不良だと伝えた。

旦那が休みだったので車で送ってもらい、診察してもらった。

先生はいつもと同じ口調で、「子宮内、キレイになっています。まだ少し残っていますが、数日かけて完全に排出されると思います」と言った。

淡々と言われて、ああやっぱりもうおらんねんなと思ったらまた泣けてきた。

先生はまたあのめんどくさそうな、困ったような顔をした。

「辛いとは思いますが、珍しいことではありません。」

もうここにおったらあかんわ。

直感的に思った。

「異常に痛みがあるとか出血が多いとかなければ、もう診察にこなくて大丈夫です。

淡々と続ける先生。

私はお礼を言い、処方箋をもらってサッサとクリニックを出た。

あちらが望んだ通りに。

青い小さな錠剤とロキソニンをもらって、人生2回目の妊娠はあっけなく終わった。

まるで最初から存在しなかったかのように。

車に戻り、旦那に状況を伝えた。

「何でアカンかったんやろうな。心拍まで確認出来てたのに」

やはり泣いてしまい、思わず弱音を吐く私。

旦那は「アカンかったもんはもうどうしようもないやろ。自分も辛いねん。」

そうめんどくさそうに、うんざりした顔で言った。

ああ、この感じ。クリニックの先生と同じやな。

もう、私は何も言えない。

辛いとも、悲しいとも。

帰宅して、実母にもラインした。

すでに妊娠を伝えていたので、嫌だったけど報告

実母から返ってきた返事は、「残念やったな。でもあんたは強いし大丈夫やな。ゆっくり休みや」だった。

予想通りの反応だった。

私は昔からこのポジション。

あんたは強い、助けなくても自分で何とかする、手が掛からない子。

実際は父親や兄に問題があり、私が気を使って何とかするしかなかった。

辛くても、辛いと言えなかった。


この時の流産で分かったことがいくつかある。

私は流産そのものも辛かったけど、ある意味一番辛かったのは、自分の気持ちを理解してくれる人がいないと感じたこと。

辛いという感情を共有できる人がいなかったことだ。

辛い経験をした後も、求められるのは日常を維持することであり、それが出来ないと批判されたように感じてしまう。

まるでいつも通りに出来ないお前に価値はない、と言われているかのように。

自分を理解し、支えてくれる人がいると信じていた。

でもそんな人どこにもいなかった。

そこにあると信じていたものは実は存在しなかった。

私が生きていたのは、虚構の世界だった。


私はこの日以降人前で泣くこと、辛いと口にすることを止めた。

それは自分の心を守るためでもあった。

必死で「通常モード」を装い、仕事、家事、育児をこなした。

ハッキリ言われたわけではないけど、自分に求められていると思う自分を必死に演じた。

回りにガッカリされたり、うっとおしそうな反応が返ってくるのが怖かった。

自分を出すことで落第点を突き付けられないよう、自らを守るために流産を「なかったこと」にした。