息子が帰ってきた後は、完全に日常生活が戻ってきていた。
涙なんか流していられないし、いつも通り晩御飯を作って片付けをして、歯磨きや遊び相手をした。
その間も、明日は仕事休まなあかんなと冷静に考えていた。
翌朝、会社に休むことを連絡してクリニックへ。
流産とは言えず、体調不良だと伝えた。
旦那が休みだったので車で送ってもらい、診察してもらった。
先生はいつもと同じ口調で、「子宮内、キレイになっています。まだ少し残っていますが、数日かけて完全に排出されると思います」と言った。
淡々と言われて、ああやっぱりもうおらんねんなと思ったらまた泣けてきた。
先生はまたあのめんどくさそうな、困ったような顔をした。
「辛いとは思いますが、珍しいことではありません。」
もうここにおったらあかんわ。
直感的に思った。
「異常に痛みがあるとか出血が多いとかなければ、もう診察にこなくて大丈夫です。」
淡々と続ける先生。
私はお礼を言い、処方箋をもらってサッサとクリニックを出た。
あちらが望んだ通りに。
青い小さな錠剤とロキソニンをもらって、人生2回目の妊娠はあっけなく終わった。
まるで最初から存在しなかったかのように。
車に戻り、旦那に状況を伝えた。
「何でアカンかったんやろうな。心拍まで確認出来てたのに」
やはり泣いてしまい、思わず弱音を吐く私。
旦那は「アカンかったもんはもうどうしようもないやろ。自分も辛いねん。」
そうめんどくさそうに、うんざりした顔で言った。
ああ、この感じ。クリニックの先生と同じやな。
もう、私は何も言えない。
辛いとも、悲しいとも。
帰宅して、実母にもラインした。
すでに妊娠を伝えていたので、嫌だったけど報告
…
実母から返ってきた返事は、「残念やったな。でもあんたは強いし大丈夫やな。ゆっくり休みや」だった。
予想通りの反応だった。
私は昔からこのポジション。
あんたは強い、助けなくても自分で何とかする、手が掛からない子。
実際は父親や兄に問題があり、私が気を使って何とかするしかなかった。
辛くても、辛いと言えなかった。
この時の流産で分かったことがいくつかある。
私は流産そのものも辛かったけど、ある意味一番辛かったのは、自分の気持ちを理解してくれる人がいないと感じたこと。
辛いという感情を共有できる人がいなかったことだ。
辛い経験をした後も、求められるのは日常を維持することであり、それが出来ないと批判されたように感じてしまう。
まるでいつも通りに出来ないお前に価値はない、と言われているかのように。
自分を理解し、支えてくれる人がいると信じていた。
でもそんな人どこにもいなかった。
そこにあると信じていたものは実は存在しなかった。
私が生きていたのは、虚構の世界だった。
私はこの日以降人前で泣くこと、辛いと口にすることを止めた。
それは自分の心を守るためでもあった。
必死で「通常モード」を装い、仕事、家事、育児をこなした。
ハッキリ言われたわけではないけど、自分に求められていると思う自分を必死に演じた。
回りにガッカリされたり、うっとおしそうな反応が返ってくるのが怖かった。
自分を出すことで落第点を突き付けられないよう、自らを守るために流産を「なかったこと」にした。