私は「大田上田」という番組が好きで、ああいう気楽な境地に至りたいと日頃から思っています。


そういうノリで書いた話です。


幸を拾うしかない


7月のことだった。私は隣町の某ドーナツ店で、「ドラゴンボール」を拾った。


座った席に「(推定)子供の忘れ物のビー玉の大きさの柔らかいオレンジのボール」があったのだ。


店に落とし物として届けると、このドラゴンボールは一時保管されて、簡単に捨てられるのだと思った。


その日は住職さんのYouTubeで

「美容院に行った帰りに、何かの縁と出会えるでしょう」と言われていた日だった。


けど、他に何も起こりそうもなかったのだ。

なので私は、そのドラゴンボールを自宅へ持ち帰った。

きっとこれが縁なのだと思った。


その日は、ドラゴンボールとの出会い以外のことは何もなかったので、

私はその落とし物をドラゴンボールとして、家に置いている。


もしかすると、探している人がいるかもしれない。


そういうことにすれば、

「ドラゴンボールを7個探している人との縁」ができるかもしれない…というファンタジーを描きながら生活をすることができるようになった。


夢に芸能人が出てくるかもしれない。

夢にドラゴンボール好きの五関君が出てくるかもしれない。


YouTubeで、とんでもなく壮大な夢をみている人をみつけるかもしれない。

ドラゴンボールの4つ目くらいを探している人が、「たのむから、そのドラゴンボールを800万円で売ってくれ」と言ってくるかもしれない。 


そして、ドラゴンボールを集めている人と友達になれるかもしれない。



私は、そういう「ありえないかもしれないが、考えてみると面白いこと」

を、色々と考えながら生活することにした。


すると、日常生活が意味もなく楽しくなってきた。


みなさんに言いたい。


「何かが起こって、日常が楽しくなること」より

「何もないのに日常が楽しくなること」のほうが、現代においては希少だ。


私は今、希少な存在なのかもしれない。


そう思うと、不思議と「生理前の苦しさ」がなくなっていた。 


私は嬉しくなって、ドラゴンボールを大事にするようになった。


子供の頃を思い出させるような出来事だ。


ドラゴンボールを拾ってから3ヶ月。


「日常の小さな幸」を拾うのが嬉しくなってきた。


拾い癖ができたのだ。


人生の変わり目は、いつも小さな変化から起こる。


最近、現状は変わらないけど体調だけは少し良い。


あのドラゴンボールは、実は本物なのかもしれない。


いや、違うな。

「ドラゴンボールは7つ集めないと願い事を叶えてくれない」ので、


1つしかないのに、人を幸せにした「謎のオレンジのボール」は、ドラゴンボールではない。


もしかすると、ドラゴンボールより希少なものなのかも。


なんでもいいか。


ひとまず私は平凡に暮らしているので、今のところ

「幸を拾うしかない」のが現状だ。


けど、その現状を幸せに変えたのは、

住職さんのいうところの

「美容院の帰りに出会える何かの縁」だったと確信している。


だから今は、ちょっとした小さな幸を拾うしかない。