今回の話は「それは気功関連の話と同じだね」という感覚の話です。


高校生の頃に仲良かった子で、絵を描く子いました。

その子はある日、私に

「○○(私の名前)の、未来の姿の絵を描いてみたい。

私は○○の未来の姿が好きなんだ。今の時点で見える」

と言われたことがあります。


…そうです。今回は不思議なことを含む話です。


その子が言う話では、

「人の未来の姿は、既に違う次元に存在していて。そこから降りてくる。

(現在のあなたと未来のあなたが繋がっている、みたいなニュアンスです)

なので、私は未来のその人を描きたくなるのだ」


という、「THE・天才しかしない話」をしていたのです。


…が、最近「気功師の方のYou Tube」を観ていて、ほぼ同じことを言っているという事実に気付いたのです。

(ちゃんと勉強したうえで、そういう話があるのだそうです)


…すごくないですか?


(本を読んで言っていたとしても、20年以上前から信じていたことが凄いです…)

今回の話は、「それは、すごい」を前提にして進むのですが。

(やや強引で、すみません)


私は人の絵を描くときに、

「自分の思う、相手の裏側」を想像しながら描くことにしています。


なので、翌日に起きるのが困難になるほど、エネルギーを使ってしまうことがあります。

(会話では、そんなにエネルギーを使わないのにね(^^ゞ)


裏側を紙の面に出すのに、エネルギーが要るのです。

(絵の上手さと関係のない話です)


その疲れの原因についても、「気功関連の動画」を観たら、説明があるのです。

(驚きです(^^ゞ)


というわけで、今回のテーマは

「未来の自分は、既にどこかの次元に存在しているのか?」という話です。

 

正直、私は「ありえると思っている派」なのです。

 

というのが、私は人に対してではなく。


文章や絵に(何らかの作品に)「何らかの未来エネルギー」を感じることは、あるのです。

 

「化ける匂」というか「未来に伸びている匂」です。


逆に「もう限界まで出している匂(見せ方だけが上手な作品の感覚)」も、何となくわかります。


私が小説から遠ざかったのは、

「限界まで出していて、かつ見せ方が上手い作品」の

変なエネルギーを身体で吸収するのが、疲れるからです。

(伝わらないと思いますが、疲れます)


その感覚の、人間バージョンだと思います。




…いや、今回の話。

わりと、ぶっとんでいるのは、自分で理解しています。


けど、ありえると思うのです。


色んなことを省略して書くのですが、

「自分の未来のエネルギー」が、今の自分に入ってくる…という現象は、


自分のメンタルに余白があるときだと思います。


省略して書いていますが、間違っていないと思います。


何を言いたいのかというと…

「余計な自意識を抜く」ことが大事な気がするのです。


エネルギー循環を作るためにも、自分に少し余白があった方が良い…的な感覚です。


「自意識を少し抜く」っていうのは、自己否定じゃない変化だと思います。


ちょっと休んだり。遊んだりするくらいのノリです。


案外、「その人の発展の最後の1手」の一つになりうると思います(^^)。



多分ですが、こういう話は数十年後には普通になっていると思います。


その説明が下手で、すみません(^^ゞ。


あと、「自意識を少し抜く」というのは、実は誰にとっても難しいことなので、


やってみたら「時代の先駆け」になるかもしれません。


「自意識を抜くのが上手い人」なんて、稀だと思います。


…というわけで、まとまりのない話しになりましたが。


とにかく、そういうのはありえるんだろうな…な話として。


今回は、終わります。(^^)