昨日、過去10年を思い出していたのですが。


このブログは2019年頃に

「長文を読むことも、しんどい。だったら書こう」と思って書き始めたブログだったことを思い出しました。


「自分なのは変わらないけど、やたら体調がおかしい時期」とか

「自分なのは変わらないけど、自己評価がやたら低い時期」とか、あるのだと思います。


文字を読みながら、脳がやたら疲れる時期があったのです。

記憶もとびやすかったです。


あのときに、「なぜ?と思う時間を作ると疲れるから、書いてしまえばいい」

と思いました。


「自信がなくても、できることをやっておけば、自信がないことを気にしなくて済む時間が増える」

という軽はずみな発想だったのですが。


ブログを書いていると「日常がネタ探し」になるので、

わりと良いなと思えています。

(書かなければ、気付かないことでした)


あと、書きながら気付いたのですが。


「自分の根底に溜まっていること」は、案外気付きにくいと思えてきました。


「逃げている」のに気付かないときは、逃げていることを否定してしまうのですが、


「逃げている」のに気付いてしまえば、そこを肯定できることに気付きました。


そもそも、「現実逃避は、現実を見ている人にしかできない」のだと思います。


そこに気付いて、何かが楽になりました。


…で、これが何の話なのかというと。


特に意味のなさそうな、「ブログを書いていたこと」が、

今年「意外な意味で、やっていて良かったこと」だと気付けたのです。


その説明は、長くなるので省略しますが。


「現実をコントロールしようとせずに、自分のメンタルを整える術を探すこと」は、無意味ではないと思うのです。


今年、そう思えました。


「偶然やっていて、良かったこと」は、ある日突然気付くものだな…と思います。


というわけで、ここ数年振り返って気付いたことの話でした。