最近「予祝コメント」を読むのが楽しいです。
「予祝」って何か知っていますか。私は半年前まで知りませんでした。
「住職さんのYouTube」で、住職さんが
「もう願いが叶ったていで、自分の願いを予祝としてコメントしてみましょう。」と言われているんです。
そして、その動画のコメント欄に
「宝くじが当たって、楽に暮らしています。」みたいなコメントが書かれているのです。
(叶ったていなので、過去形で書かれています)
それを読んでいると、不思議と
「オモロイ」と「幸せな気分」などが交互に来る感じがあって、楽しいです。
…その予祝コメントを読んでいると、
「200億の収入を得ました!」と書いている人がいるんです。
ここで、爆笑です(*^^*)。
このコメント、読んだ人によって捉え方が変わると思うのですが。
私の場合、
「200億を得て、地球を買い取るつもりなの(^ω^)笑」って思ってしまいます。
(実際は日本も買い取れません。
けど、200億からスタートしたいという意味なのな?と思う感覚です)
で、そのあとに思ったのですが。
「200億を得たいと言っているけど、その使い方を想像できていない人」が多いのが、
普通の人が大金を得られない理由の1つなんだろうな…って思いました。
それは、何となく感覚として思ったのです。
ちなみにですが、「200億を得たい」と言っている人が
「地球と、人間の生活を自分が請け負って、安全な生活を確保したあと、
地球の余った土地で、恐竜を生かしたい」とか言うのだとしたら、
その人は、かなりオモロイと思います。
多分、そのビジョンを実現するのに、やっぱり200億では足りないと思うのですが笑。
それでも、「予祝」を読まなければ、私は色んなことを想像しなかったわけで。
そう思うと、楽しいのです。
何が言いたいのかというと、
「その人の叶う夢しか、みてはいけない」という、他人や自分に対する制限みたいなものが、
結局のところ、自分を不自由にしているという感じは、あると思うのです。
あるというか、誰もがそんな感じを持っていると思います。
「予祝コメント」を読む度に、
「夢くらい自由にみたら良いんだ(*^^*)」と思えることができるので、
(あと単純にオモロイので)
日常で疲れたら、「他人の予祝コメント」を読んでいます。
(そのうち、「地球を買い取るつもりなコメント」が出てきたら、
私はむっさ喜ぶと思います。爆笑です。)
人間は、いつから夢をみるのをやめるのでしょうか。
そもそも、叶えることよりも
「夢をみること」に効用があるっていう可能性もあります。
最近、そういうことを思います。
というか、単に体力もないので
「予祝コメント」を見て楽しむこともあります。
案外、ああいうコメントは
「他人が生きるエネルギー」になりやすいのかもしれません。
ちなみにですが、
「自分は周りの人がポジティブに生きるために、何かを与えたい」
という匂いが強すぎる人といると疲れるのですが。
「自分、幸せになってやるー!」とか
「ドラゴンボールを見つけてやるー!」とか、全く周りを気にしていない発言には、
案外、幸を感じます。
週一くらいのペースで、
「既に叶ったていの未来の夢」を思い浮かべるのも、良いのでは(*^^*)?
…と思います。
というわけで、「予祝コメントを読んで感じたこと」でした。