「道端に落ちているお金を拾って、届けるとか。御賽銭に入れるとか、募金箱に入れるとかすると、
お金が仲間を連れて戻ってきてくれる」のだそうです。
(住職さんのYouTubeを観て、知りました)
というわけで、私は去年の12月から
「街ゴミ拾いをしながら、迷い銭にも遭遇したい日々」を過ごしていたのですが。
3月末から「迷い銭」に出会うようになり、6月は1円や10円に頻繁に出会いました。
…という話からなのですが。
昨日私は某大型スーパーの物陰に
「10円らしきもの」を見つけたので、拾ったら
「10円くらいの大きさの段ボールの切れ端(?)」でした。
そんなのあるんかいな(逆に珍しい笑)、と思いながら、単なる段ボールをゴミ箱に捨てて20秒以内に
「物陰にある、本物の10円」を見つけました。
しかも、長い間放置されていたような様子の10円でした。
(よく見つけたなって感じの場所でした)
何だか何かに誘われたような感覚で見つけたのです。
トイレのて洗い場で洗って、募金箱に入れました。
その出来事から、ふと思ったのですが。
「人生、余計そうなことをしていて、実は未来に繋がっている出来事」
も、気付かないだけで数々あったのだろうな…なんて思いました。
(そういうのも含めて、陰徳というのだと思います)
先週の話なのですが。
「ATMの埃をティッシュで拭いて、そのテイッシュをゴミ箱に捨てて10秒以内に、1円を見つける」ということもありました。
最近、見かけたATMの周りの埃を拭いて、明細などのゴミを拾っているのですが。
それをしなければ出会わなかった1円…みたいなエピソードも、まあまああるのです。
6月は、そういう不思議な出来事があったときに、
「自分の人生で言うと、どの出来事が同じ感覚で良いことだったのかな…」
なんて、一度振り返ってみたりしたのですが。
私は、そういうことは忘れがちな人間なので、特に何も思い出せませんでした笑。
でも、思い出せないとはいえ、
多分良いこともしているはです。
多分これからも能動的に陰徳活動をしていれば、面白いことが起きそうな気配しかしない今日この頃です。
(よく眠れるし、現状楽しいのです)
それにしても…
「10円の形をした段ボールだったから、拾わない」みたいな行為は、
案外「未来に繋がること」を切り捨てているのかもな?と思います。
昨日は、そこをふと考えてしまいました。
ちなみにですが、私は
「人に親切をして、派閥作りが好きな人に嫌われる」みたいな経験も、結構あります。
けど、そういう「誰かの機嫌の色々」を事前に考えずに行動するので、
(どうでもいいことに注意力を向けきれない性格のです笑)
「できそうな親切と陰徳」は、まあまあやってきた感覚が、ちょっとだけあります。
損得で差別をすることも、頭の中での「時間の無駄」のように思えます。
というわけで、「単なるゴミを拾ってしまっただけの経験」も、
時々何かに繋がるかもしれないので、良いことなんだろうな…って気持ちになりました。
それにしても、しつこいですが。
「10円の形をした段ボールの切れ端」って珍しくないですか笑(^^)?
次に「お札の形をしたお札でないもの」を見つけたら、
必ず拾ってしまいますって(*^^*)笑!
というわけで、「1円や10円に出会うタイミングに思うこと」の話でした。
付け加え
ちなみにですが、「街ゴミ拾い」をしていると
「拾ってほしそうなゴミ」と目が合うことが増えます笑。
あれが不思議なので、街ゴミ拾いをやめられないのです。
ちなみにですが、「迷い銭」に出会うときも
「ふと周波数が合った感」がするときがあります。
「街ゴミ拾い」と「迷い銭拾い」は、連動しているのでしょうか。
気になるところです。
というのを付け加えて、終わります。