今回の話は、「人の話をきいていて、助かった話」です。
私の2016年の話なのですが、
「霊柩車の中で、身体が押し潰されそうになるエネルギー」を感じたことがあったんです。
もう、息も苦しい感じで。身体がつぶれそうでした。
正直、初め「恐い話」みたいなことなのかと思ったのですが。
(霊柩車の中だったので)
苦しくなって10秒くらい経ったときに、昔タクシーの運転手さんが急に
「自分が初めて鬱になったときの話」をしたことを思い出したんです。
あれは、なぜ聞いたのか謎だったのですが。
霊柩車の中で私は
「これって、あのタクシーの運転手さんが言っていた、鬱の始まりなのかな?」
って思って、はっと冷静になった瞬間に、
その苦しさが0秒で消えたんです。
びっくりしました。そんなに簡単に止まるの(^^ゞ?って感じでした。
多分なのですが、あのときに
「これは何の重さ?」と深刻に考えていたら、強めの鬱になっていたのだと思います。
なんでしょうね。あのとき冷静に
「これって、よくCMで流れている洋楽の曲ですか?ほら、あの曲。」
みたいな感覚で、「おじさんの生々しいメンタルの話」を思い出したのが、良かったのだと思います。
まあ、それから「弱めの鬱っぽい時期」を過ごすわけなのですが。
あの頃から「人から偶然聞く話は、どこか何かで自分を助けるかもしれない」
という意識を持ってきいています。
多分なのですが、私は
「自分のことは、自分が一番わかっているのだから、余計なことを言わないで。」
というスタンスで生きるのに向いていないのだと思います。
正直言って、誰もが自分のことを100%理解できているとは思えないですし。
そういうことは、あっさりと諦めて認めておけば生きるのが楽になる…
みたいなところがあると思います。
それにしても、あのタクシーの運転手さんの
「いきなり!身体が重くなるんですよ!
きたきたきた!って、感じなんです!」
という生々しい話。
…今、そこまで生々しいの要るのか笑(^^ゞ!
と思っていたのですが。
あの生々しさゆえに、はっきりと記憶に残っていたので、私は助かったのだと思います。
(軽症の鬱っぽさと閉所恐怖症は、出ましたけど(^^ゞ)
というわけで、私は人の書いている文章を読むのが好きです。
「書籍化するために、ひねりだした清らかな文章」よりも、
「偶然読む、知らない人の日常の色々の話」のほうが、
偶然自分を助けるかもしれない…みたいな感覚があります。
(あと、不思議と自分にとって波長の合う文章を書いてくださる方がいます。
読むだけで、ホッとします)
なので、私は5日に1度くらい
「最近、偶然目にした話が何だったのか、記憶をたどる作業」をします。
…また助かろうとする気、満々です(^^)。
そこは普段から狙って努力するところだと思っていたいのです。
ちなみにですが、私は努力が苦手です。
けど、「偶然目にした話を思い出す作業」は、止められません。
多分、自分に向いているのです。
ちなみにですが、この話は
「向いている人にとっては、自分を助けること」になると思います。
脳は勝手に情報を、勝手に取捨選択するので、
「たくさん入れて、あまり覚えていないなか、なぜか忘れなかったこと」
に価値があるのです。
できるだけ、多数のことをナチュラルに忘れた方が、
良い情報を得られるんです。
(経験的に、そう思います)
1度忘れても、必要なときがくると
「びっくりするほど、ナチュラルに」思い出してしまいます。
そういうの、面白いと思いませんか。
私の個人的な統計なのですが
「極端に色々覚えている人」か
「すぐ忘れるのに、必要なときに頭に記憶が戻ってくる人」が、
危機に強い気がします。
そういうのを意識していると、日常で焦ることが減るかもしれません。
個人差はあると思いますが。
というわけで、「人の話をきいていて、助かった話」でした(^^)。
付け加え
ちなみにですが、「閉所恐怖症」も結構体力を消耗します(^^ゞ。
めんどくさい話ですねぇ。
人生は計画通りに進まないです。
閉所恐怖症は、わりとコスパの悪い状況を生むので、そこは悩みました。
というのを付け加えて、終わります。(^^)