今回の話は、結構正直に書いているので、曲の雰囲気が伝わるかどうかは謎です。
でもいいかと思います。
井上陽水の曲に解説をつけるのは、野暮な気がするのです。
高校生の頃に、ジョジョの奇妙な冒険の作者の荒木飛呂彦のエッセイか何かで読んだのですが、
「僕は邦楽を聴くのが苦手です。歌詞が日本語なのが、苦手。
説教されているみたいで嫌なんです」
みたいな内容のことが書いてありました。
(正確には覚えていませんが、そういう話でした)
あれを読んで、物凄くホッとしたのを覚えています。
私も、邦楽の歌詞が日本語なのが苦手なのです(^^ゞ。
(昔の邦楽は聴きますけど、1998年くらいからの邦楽が苦手です)
理由は日本語の歌詞に対して、
「そんなに立派じゃねーよ」と、つい思ってしまうからです。
(なので、集中力が途切れるのです。せっかく曲を聴いているのにって思います。
人として、少し難ありな現象です(^^ゞ笑)
けど、井上陽水の作品の歌詞は
「日本語でも、嫌だと思ったことがない」のです。
心から楽な気分で聴けるのです。
「飾りじゃないのよ涙は」も、好きです。
成熟度が半端ないと思っています。
この曲は、特に良いと思います。
色々聴いて、今はこの曲が好きです。
2016年に身内がガンで亡くなった翌日に、私は9時50分からの5分間
「5分生きているのが辛い」という経験しました。
5分間で、15回くらい体感的に
「もう駄目かもしれない」と思いました。
やたら長い5分でした。
あの日の夕方、ベランダでカールを食べながら「危なかったな(^^ゞ」と思い、←収まってる笑
そこから一週間、メンタルが危うかったのですが。
井上陽水作品は、聴くのが楽でした。
もう一度書きますが、成熟度が半端ないと思うのです。
(語彙力が、なさすぎなのですが(^^ゞ)
「寄りかかりたいけど、寄りかかる程のメンタルと気力がない」
くらい弱っているときも、聴ける曲が色々あると思います。
曲については、あまり触れませんが。
(YouTubeで、曲の説明も少しきけます)
気力がないときに聴ける曲は、貴重だと思います。
余談ですが、私は親類と一緒に
「井上陽水のライヴ」に参加したことがあります。
MCのときに、目の前にいる井上陽水が
「私は、人前で歌う仕事をしていますが。
こうやって、みなさんと一緒に1つになるという感じが、
とっても恥ずかしいですし、馴れることができません。
これからも、馴れないと思います。
では、次の曲にいきます」
という感じのことだけを言って、あっさり次の曲になったときに、
「この人は信用できそうだな」と、思いました。
(今日観ている目の前のあの方は、本物の井上陽水なんだな、と思えました)
多くを語らない人なんだなと思えたし、曲や歌詞の成熟度や、
私の嫌いな類の辛気臭い雰囲気のなさや、
そういう感覚の全てを信用しようと、心に思うことができました。
(私が高校を卒業した頃の話です)
というわけで、この曲の話をしたくて書きました。
余談ですが、時々
「悲しいときに泣ける映画を教えてください」みたいな相談をされることがあるのですが。
私はそれ以上に
「何かに寄りかかる体力も気力もないときに聴ける曲」があると、
それが救いになると思います。
この曲は、ちょうど良い距離感なのです。
映画を観て泣きたいときも、大事なんですけどね。
というわけで、「長い坂の絵のフレーム」の話でした。
付け加え
ちなみにですが、「メンタルが危うかった一週間」のときに、
「この曲は、自分より痛く繊細だな(^^ゞ」と思えたのが
X JAPANの「Rusty Nail」でした。
あれは、一度平常時に聴いて好きになっておくと、
「緊急時の心の常備薬」になるかもしれません。
本当に危ういときでも、聴けます。
弱っている身体でも吸収できる、繊細さがあります。
言葉の音の並びも良いんですよ。
自分の何かが感覚的に狂っているときも、優しいのです。
好みはあると思いますが(^^ゞ。
というわけで、「あの曲の話を書きたい」の回でした。