今回は、「ヒステリーを起こすことが悪いことではない」という前提で読んでほしい話です。


私はヒステリーを、ほぼ起こしません。


なぜなのかというと

「ヒステリーを起こすタイミング」というのは


「馴れ合い」とか「コンフォートゾーン」からの離脱のタイミングなのだと思っていますので、

「ちょうどいいや」って思えてしまうんです(^^ゞ。


そういう体質なんです。

多分、単に諦めが良すぎるのだと思います。


何か、心の底の自分が

「馴れ合いからの離脱のタイミングだね、良かったね笑」

くらいの感じでしか捉えていないのです。


その変化を「ひき止めてほしい」とか

「どうにかしてほしい」というのが、

ヒステリーなのだと思います。


そして、それも正常ではあると思います。


日本では「周りのみんなを安心させるために、変化しないこと」

が好まれる場合が多いからです。


(なので、前時代にDV男が、そこそこ人気だったのだと思います)


日本にいると

「他人の庇護本能をそそるヒステリー」は、好かれる場合も多いので、

(痴漢冤罪を、周りの関係ない女性が擁護したがるのと同じ感じだと思います)


ヒステリーを起こすことには、ある程度のメリットがあるのだと思います。


なので、ヒステリーからの「私って、サイテーでしょ?」

という流れが定番なのも、わかる気がします。


全ては「馴れ合い」という着地点のためのもので、

生物的に(人間的に?)そっちがメジャーなのかもしれません。


まあ、「単なる馴れ合い」のために、無駄に誰かを傷つけているのは、

凄くあるよねーという話は今回は横に置いて、話は進みます。


よくできた「馴れ合いプレイ」って、集団や家族ではありがちなことで。


誰かだけが得をしている状態なので、刺激しづらい部分はあると思います。

(誰かだけのための「自尊心プレイ」みたいなもんてすから…)


…と、そこまで話が整っていながらも…


生まれつき、何となく

「コンフォートゾーンを出たくなる派」が、生物をしているのだと思います。


それが自分なのが、若い頃は残念に思えました。


…いや、多分「多少のヒステリー」の方が、モテる気がするんですよ(笑)。


DV男のように、「人の心を揺さぶるテクニカルなタイミングの読み」

を持っていれば、余計に人気を集められたのかもしれません。

(子供のようなテクニックが好きな人、多いでしょ笑)


…けど、それをすると

「コンフォートゾーンからの離脱」から、自分が遠のくんですよ。


それが、私にとっての

「ヒステリーを起こすことのデメリット」です。


なんか、こういう話が、どう響くのかわからないまま書いているのですが…


私は最近、時代が

「コンフォートゾーンから抜けたい人」に焦点が合ってきているような気がします。


数年前から

「ヒステリー女の需要」も減っているように思えますし。

(もちろん、そういうのが好きな人もいますが)


なんか、そんな感じがします。


話は戻りますが…

「ヒステリーを起こすタイミング」は、冷静になると

ある意味、好機かもしれないと思います。


「馴れ合い」からの離脱のタイミングなのかも。


そのままヒステリーを起こすと、その好機から元の自分に戻るので、

それも安定として良いのかもしれないのですけどね。


けど、「好機かもしれない」という発想を、頭の中に導入したら

「自分が今まで使っていなかった脳の部分」が動くかもいしれません。


私は、そう思います。


あと「周りの人が変化するのを極端に嫌がる人」は、周りに多少いるかもしれませんが。


そういうのは、依存症なのだと思います。


それはそれで良いのだけど。


「自分が今まで使っていなかった脳の部分」に、興味持ってしまうのも、ありかと思うのです(^^)。


どちらにするかは、単に自分の体質と好みだと思います。


そんなわけで、「私がヒステリーを起こさないのは…」の話でした。