最近のことですが、「安野光雅の画集」を図書館で借りてきました。
去年の夏は、「安野光雅展」に8回ほど行ったのですが、良い経験になりました。
私は、絵を描くと「謎の集中力」を出すときがあって。
次の日の朝、起きるのが難しくなることがあります。
ここ2年で気付いたのですが、絵に対する集中力のセーブができないのです。
(普通の絵しか描けないのに、です(^_^;))
そういうジャンルは、多分絵だけだと思います。
ちなみにですが、私は対人関係でのそれは全くなく。
人見知り指数がゼロに近いかもしれません。
(人に会うと疲れますが、アレルギー的な部分がないのです)
絵を描き始めてから、朝ぐったりとする日を経験して
「人見知りって、こういうことかな?」と思うことも増えました。
さて、そんな話からなのですが。
私はここ2年で1度
「描いてみたい絵が脳内で膨張」しまして。
去年の「安野光雅展」に行くことで、
「描きたい絵のミニマル化」に成功しました。
…は?何言ってんの(・・;)?って感じだと思いますが。
感覚的な問題なのですが、
「色んな情報を取り入れて膨張して雑音などが入った意識」を、
スッキリさせることができた感覚です。
それまで、「描いてみたい絵」が他人軸になっていた時期がありました。
(それも良い経験なのですが)
けど、それをスッキリさせることに成功しました。
安野光雅作品は、それほどに意識の精度が高いのです。
(そして、その精度の高さを保ちつつ、ゆるい景色の絵があるので、
そこにも豊かさを感じます)
図書館で大きめの画集を借りる人っているの?と思っていましたが。
最近は、日々絵を観て楽しんでいます。
というのもあるし、花粉症で体力が落ちているで、無理をしない日々を過ごしています。
花粉症でなくても、春は体力を消耗する季節だと思います。
春は、色んな願望やエネルギーが膨張しがちで、そこで疲れがちになると思います。
そういうときに、画集を観るというのも、良いかもしれません。
というわけで、単なる「画集を観ています」という話でした。
付け加え
ちなみにですが、私は昔から
「プレゼン力はあるけど、絵に全く心がない人の絵」を、
何となく感知してしまいます。
大ヒット漫画を描いている漫画家さんで、そういう人は案外多いと思います。
漫画なので、「プレゼン力とノリ」で良いと思うのですが。
お金を動かす漫画と、良いエネルギーが宿っている漫画は、
別物だと思います。
もし私が極度の人見知りなら、世界の人達がそういう感じに見えるのだろうな…なんて、
近年思うのです。
というわけで、終わります。