最近気付いたのですが。
「メルティーキスの苺味」を、ホットコーヒーに入れると、
程よく溶けて、酸味が増すことに気付きました。
美味しいです。好みはあると思いますが。
最近、「電車で、良いエネルギーを持っているおじいさん」の隣に座ってから、
不思議と「何を食べても美味しい状態」が続いています。
ちなみにですが。私はそういう状態になると、
「食欲が増さずに、普通の状態になる」タイプです。
胃腸に優しい状態です。助かります。
そして話は変わり、
ここからは、私が最近考えたことなのですが。
私は子供の頃に、学校で給食を食べ始めて
「親が関わっていない食事は、案外美味しいな」という感覚に気付きました。
美味しいというのは、気がひけるので
「気楽だな」くらいにしておくべきなのかもしれないのですが。
それって、美味しいということなんです(笑)。←はっきり言った
多分ですが、誰も言わないだけで、クラスに3人くらい
そういう人がいるのではないでしょうか。
給食がある意味って、そこにあるのかもしれません。
そういう感覚が自分にあったから思うのですが。
太っている人にはタイプがあって、
「純粋に食べるのが好きな人」と
「何を食べても美味しく感じない自分を、認めるのが恐くて、過食する人」
がいるのではないでしょうか。
私は、後者の人の気持ちが、少しわかるのです。
そういう感じの過食期が、時々あるなと思うからです。
普通の人の一割増くらいしか食べきれませんが(汗)。
時々、5日くらい続けて、そういう日になります。
そして、知らんうちに普通に戻っています。
で、何が言いたいのかというと。
「痩せている自分は、太っている人よりも優秀だ」と思っている人に対して、
視野が狭いな…と思ってしまうのです。
いえ、これは主観の問題ですので。
本人が「自分は優秀だ」と思うなら、それでいいのです。
けど、その価値観を他人に強要することで、自分を保とうとする人がいるじゃないですか?
「あれ、止めたらいいのにな(^_^;)」という、個人的な気持ちを、
今日書きたかっただけです。
自分以外の他人には、色んな側面があって。
その全てを知ることは、多分ないと思っていた方がよいのです。
日本人がイマイチ幸せそうではない理由の1つに、
そういう問題が絡んでいると(私は)思っています。
ちなみにですが、私は
「超痩せている自慢」をする人と一緒にいるときに、
「あんたが痩せていて、別に誰もありがたいと思っていないよ(^^ゞ?
太っている人の前で、それを自慢している時点で、うすうす気付いているだろうけどね」
と思っているのですが、それを言うと泣いたり恨んだりする人といるんだろうな…と思います。
そういう人が、マウント取りたがりですもんね。
「いじめも、マウントも起点になる人は
無価値感の強い、激情型かまってちゃんだよなー」って、残念に思います。
そして、思うのです。
物事や人の心には、
「もう一歩他の面がある場合が多いので過干渉しない方が良い」
そう思います。
結局、私も「何が最善なのか、決めつけきれない」と思うのです。
というわけで、最近考えたことを書きました。
付け加え
ちなみにですが、私は「不倫を否定しない派」でして。
その理由は、自分が給食を食べなかったら、
「家の窮屈さ」に気付かなかったかもしれないからです。
給食を食べたときに、「新たな自分(そっちが本当だよ)」に気付きました。
不倫が、そういう感覚だった人もいるかもしれないと思うのです。
(そうでなさそうな人の方が、多いのですが。
時々、そんな人もいると思います。)
だから、「人のことは、容易に判断つかない」と思っています。
というわけで、終わります。