「おいしい給食」というドラマや映画のシリーズがあって、

今「おいしい給食 卒業」を観ています。

https://oishi-kyushoku2-movie.com/ 

 

このシリーズは、1989年に中学を卒業する年齢の人達の話のです。

(ちなみに、私の兄世代くらいの年齢です)


今回は、映画の感想ではなく。あの頃の世代の人についての話です。


若い世代の人よりも、色んな本音を言いきれなかった世代なのだろうなと思います。

(私は81年生まれなのですが、少し世代が違うだけでも、そう思います。


私達の方が、(日常の色々が)少しくだけていて。気楽だったような気がします。


何というか、このシリーズを観ていて思うのは

「男の痩せ我慢の美学」みたいなものが、色々あったように思えるのです。

(逆に「女の謙虚さ」みたいな、美学も濃いのかもしれません)


兄世代をみていて、昔から思っていたというだけなのですが、

それでも、映画を観ていて、そこが気になります。


(余談ですが)

昔、うちの兄が同学年の従姉妹に

「このぬいぐるみ、ちょうだい」と言われて、ぬいぐるみをあげた後に、

「あっちの家のほうが裕福なのだから、自分で買ってほしかったな(^^ゞ」

と(何回か)言っていた記憶があります。


そういう小さい記憶は、他にも山盛りありました。

私は小さい頃に

「男の言う『いいよ』は、わりと本心でなく痩せ我慢的な場合も多いのだろうな…(^^ゞ」

と思っていました。

(それは、今も同じだと思うのですが、個人差が出てきたと思います)


それは女性でも、「痩せ我慢体質の人」はいると思うのですが。


何が言いたいのかというと、あの世代の人のほうが、今の人よりも

「ギリギリまで言いたいことを我慢するし、器用でなく、誤解される人が多かった」

ような印象があります。


そして、最近はそういう生き方に対して、世間が冷たい気がしますが。

上の世代の人は、困っていそうだな…と思うのです。


そういうことを日々忘れつつ過ごしているのですが、

「おいしい給食シリーズ」を観る度に、そういうことを思い出します。


ちょうど、時代の変化の境目に生きてきた私が思うことなのですが…


そういう、「みんなが忘れた、ちょっとしたこと」が意外と重要な気がします。


器用に生きてこなかっただけに、

「ある日、何かの限界がきて、急に自分の生き方や人生が窮屈に感じる」

ってことが起こる人もいるのではないでしょうか。


そして、元々生きていた時代の学校が「真面目第一」だったりすると、


「(真面目以外で)どうしていいのか、わからない」になるのでは??

と、(主人公の)甘利田先生を観る度に思います。

(先生はもっと世代が上の設定なのですけどね)


わりと「おいしい給食」シリーズは、哲学的なところもあって…。


悪人でも、どんな人でも、その人が1日で出来上がったわけではない

ということを、何となく感じさせられる気がするのです。


ちょっとした場面に、考えさせられます。


少しだけ違う世代に、私が生まれているので、客観的にみてしまうから…というのもあると思いますが。


というわけで、「おいしい給食」の感想は、まら別にアップするかもしれないのですが。


ちょっとだけ、過去を見ることも大事だと思いました。

(逆に、それで今が見えることもあるかもしれません)


というわけで、「映画などの感想」の回でした。



付け加え


余談ですが、私が中学生のときに5歳年下の従兄弟が

「ゲームボーイのカセットを譲ってほしい」と私に言ってきたので、

あっさり譲ったという記憶があります。


そのときに、私は

「あー、この子。今悩んでいるのだけど、

それを話すまでの勇気はない…くらいの感じなのだろうな」

と感じました。

(かと言って、私も特に何もしなかったのですが)


私の下の世代の人は、

「悩みを話せないけど、コミュニケーションとして甘えてみようかな…」


という選択肢を持っていたのです。


上の世代の人は、そういう器用さを持っていなかった人が多かったのでは?と思います。


それが、今問題になりにくい話ではあると思うのですが、


軽く扱わないほうが良いような気がする…と、最近思うのです。

(かといって、何をしていいのか、わからないのですが)


「何も事件を起こさなければ、それでいいじゃないか」

…って、わけでもないと思うのですが。


というわけで、終わります。