20歳くらいのときに
「1年で700万円赤字を出しているのだけど、誰も気にしていない飲食店」でバイトしていました。
(オーナーさんが他のジャンルの店で黒字を出していたので、特に問題なかったのです)
私がそこで学んだことは
「利益の状態を気にしない状態で運営されている店は、誰も営利的なことで争わない」ということです。
(みんな適当に仲良しでした)
上を目指さなければ、「何かを目指すための方法論」で揉めない…ということです。
当たり前のことのようなのですが、とても新鮮でした。
「人は上を目指すから、自分の中で不満を複雑化させる」のだと思います。
そういうちょっと雑な話から、恋愛の話になりますが。
「恋愛哲学が立派」で、その立派さを証明するために恋愛している人が、
恋愛を破綻させる…みたいなところがあると思います。
「自分の恋愛哲学の立派さを」証明するための出来事を欲するので、
問題が起きるのは自然なのだと思います。
(むしろ問題を欲しているのは、本人かも)
現実の出来事でもそう。ドラマや映画でも、よくある話だと思います。
そして、本人が辛くなったら
「恋愛哲学を全く持っていない異性」に惹かれるのかもしれません。
そういう場面を、人生でたくさんみてきました。
ちなみに私は、恋愛に対して全く何も考えないです。
多分、体質的なもので。考えること自体が難しいです。
(何でも勘でこなしているので、正解が何なのか、わかりません)
よく「男は何も考えていない」みたいなことを言いますが、
「私は多分、その5倍何も考えていない」と、若い頃は思っていました。
そして、35歳を過ぎて
「もしかして、50倍かもしれない」と気付きました。
ちなみに50倍も500倍も、あまり変わらない気がすします(^^ゞ。
多分なのですが、恋愛哲学みたいなもの(もしくは一般的なセオリーみたいなもの)は、
(結果として)自分自身をまもってくれないのだと思うのです。
相手に「立派な哲学」を認めさせて、初めて効力を持つのでしょうけど、
それ自体に意味があるのか。少し不思議です。
そもそも恋愛は「誰かに頼まれてしていること」ではないので、
「立派」を目指してどうするの?と(私は)思います。
単純なことなのですが、色んなことに通じる感覚なような気がします。
ちなみにですが、色んなことにおいて思うのですが。
「自分を安心させる正解」を、周りに求め過ぎる行為も、意味あるのかな…?と思います。
そういうのは、一応みんな相手に合わせるように努力してくれるのですが。
みんなが親子でもないのですし。
生々しい反応でもないと思うのです。
そういう無理が、色んなことの破綻を呼ぶのでは?と思うのです。
…という、あまり具体的ではない話なのですが。
世の中を見ていて単純に思った話でした。
付け加え
ちなみに「考えず勘でこなす恋愛」のスタイルをとると、
生まれつきの超人系ではない限り、「適材適所「万人にモテるのは難しい」
という結論が出ます。
けど、その単純な結論を認めた方が、恋愛はシンプルになると思うのです。
そこのところは、本人の自由なのですが。
テレビなどで奨励されている
「無理矢理モテる側になろうとするための、テクニック」
よりも、効くような気がするのですが、どうなのでしょうか。
(あれで経済が回るのでしょうけどもね(^^ゞ)
実は、みんなが「万人にモテるのは難しいから無理をしない」
とシンプルに納得したら、世の中ごと何かが変わる気がします。
そんなことを思った、という話でした。