10日前くらいの話なのですが、図書館で

「クッキーの混ぜ方」について詳しく書いてある本を見つけることができました。



ここから私はクッキーを3度焼いているのですが(混ぜたのは2度です)。


(まだ下手なのですが)「本当の自分の理想のクッキー」を焼けるようになって、気付いたことがあります。


それは、「自分がお菓子の類を食べたい本当の理由」です。


私はお菓子自体が好きというより、


「作る技術が自分になくても、市販のものを買ったほうが楽なので、

自分に技術がないことを残念に思わなくていいんだ…」


と思いながら食べることが大事だったということに気付きました。


元々私は「自分に出来ないことコンプレックス」が強いのです。


他の分野に対してもそうです。


そういう「トータルの日々のコンプレックスが、必要ないと思える瞬間」


を楽しむため、お菓子を食べていることに気付きました。

好きかどうかより、そっちの方が大事だったのです。


なぜ気付いたのかというと、


「納得のいく自作クッキー」を作れるようになって、

市販のお菓子がキラキラしたものに見えなくなったからです。


なので、ここ10日くらい不思議な気分です(^_^;)。

クッキーが三枚あれば、良いなと思います。


結局、コンプレックスが先にあるから、お菓子が魅力的に見えていたのかもしれない…と思いました。


という話から思うのですが、


世の中に色んな人がいて、私は他の人が何を考えているのか詳しく理解できていないところがありますが、


「本当の欲求はそれではない」


ことって、多いのだろうなと思います。


例えば、アンパンマンに出てくるバイキンマンは、ドキンちゃんのことが好きなのではないのかもしれません。


「単に、ヒーロー気取りをさせてくれるから、ドキンちゃんが魅力的に見えるのかもしれません(-_-)」


これは、世の中の男性にも女性にも言えることなのではないでしょうか。


ところで最近、刺殺事件が増えていますが、一部の人が


「やっている人だって、切ない想いをしているのだから(怒)」


みたいなことを言いますし、それも間違っていないのかもしれません。


けど、もっと根本を言うと

「それが本当の欲求ではない」ことについて、考えることが大事なのかな…と思います。


ちなみに私は、バイト先のような気分で働いていたところで

「疲れがとれる、白い魔法の粉薬」を拒否したことが原因で、出勤日を9割カットされたことがあります。


「やっていることが、過激であれば、やられている人に原因があるのではと疑われる」


みたいな傾向が、世の中にはありますが、それもどうなのでしょう。


全てにおいて、話の焦点が狂っていると思います。


そして、「白い粉薬の共有」は、本当の欲求ではないと思います。


…という色んなことを忘れながら、

「自作クッキー」を時々食べています(話がとびすぎw)。


コスパが悪いので、クッキー作りの継続は難しいですけどね。


そして、つまるところ

「お菓子が魅力的に見えていたのは、フェイク感情だったのかも…(-_-)」


という発見に驚いています。


「フェイク感情が今までの自分を支えてくれたので、それはプラスである」

のが、あるのですけどね。


私に限らず、現代人にはそういうものがありそうだなと思います。


お菓子の場合はプラスで済みますが、

「八つ当たり癖」などは、どうなのかな(^_^;)?という問題が、

「最近の世の中のちょっとしたテーマ」のような気がします。


「嘘をつけない、子供みたいな人なんです」とか「庇護本能をそそる人なんです」

とういのも、実は初めから焦点がズレているのでは?

と思います。

「バイキンマンとドキンちゃん」の関係性の話と、根本が似ている場合もあります。


という、ちょっと長くて、くどい話でした。






付け加え


最後に、現代の「ドキンちゃん女子」は、なぜ減らないのでしょうか。


答えは「私がバイキンマンに、与えてあげている立場だから」

と思っているからだと思います。


正しいか間違っているかは、本人たちの捉え方の問題なのだと思うのですが(私の知ったことではない)


「共依存の根本」は、そんなところにあるのだと思います。