今年に入って家のことについて改めて考えてみたのですが、家もそれなりに換気と日光浴を求めているのだろうなというのが、私のなかでまとまった答えです。

あまり意識したことがなかったのですが、うちの家(部屋?)には、縁側かのようなベランダがあります。ベランダは二方向あるので、メジャーではない方です。

そこにのらえもん(でかいぬいぐるみです)を置いて、宴会部長ならぬ「縁側部長」になってもらうのが今年始めたマイブームです。今のところ縁側部長は好調で、縁側部長が日光浴をしているときの部屋には平和の風が入り込んできます。

そしてもう一つ自分のなかで習慣化しようか考えていることは、「ゴミ箱のベランダ設置」です。昨日置いてみたのですが、これからゴミ箱をベランダに置くかどうかしばらく検討してみようと思います。

というのが、正月にゴミを部屋に置かない生活始めて、あまりにも気持ちが良かったので続けようかと思っているのです。

多分私は人間に対する神経質はないのですが、「テリトリー神経質」があると自分で思っています。潔癖症ではないのですが(掃除は頻繁にするけど雑です)、家のなかの負の雰囲気に自分が負けやすいのだと思います。

外に出てもそんなところがあります。なので、せめて家のなかでは神経質にならないようにしているのですが、家にゴミがない生活は続けたくなりました。

どうしようかな。正直、少しゴミあがあって「少しだけくすんでいるかんじの空間」にいたほうが、何となく何かの免疫力になるきがするというのもあるのです。けど、新年をきっかけに試してみようと思っています。

私はしばらく家にこもるのが苦手になった時期がありました。そして今でもちょっとしたときに「なんか暗い自分」になるときに少し疲れるかんじもあります。

けど、そういうのをどうにか改善してみようというのが最近のテーマです。

家にいると、どうしても自分のマイナスの面を見つめがち(私はそう)なとことがあります。

そういうことをどうしようかと考えて疲れた結果、「そうだ、のらえもんが縁側で日光浴をしてくれたら、それなりに家も明るくなるかも。
任せよう。」と思いました。

ちなみに一昨年買った「働いているときに、行き詰まったら座る一人ソファ」も最近のらえもんの席になっています。

自分の代わりに悩んでくれたらいいかと思って座らせています。多分少しも悩んでいませんが。

何を言いたいかというと、人間として生きていると日々色んなことに悩む時間が増える時期があると思うのです。

そういうのを三ヶ月でいいので、放棄することをオススメしますということです。

多分悩む人の誰もが「自分が悩まなければ進まない問題」だと思っているから悩むのだと思います。

けど、一日の何度かでいいので「自分の代わりにあの子が悩んでいる(フリをしている)から、自分はいいか」と考える癖をつけると、一つ楽しいことが自分に起きます。

何事も「保留(ほぼ放棄)」の時間は大事だと思います。

縁側部長のおかげで縁側にいい日が差し込んでいるときは、自分の悩んでいることの陰の色が薄くなります。

そうやって疲れをとる習慣をつけると、身体がポジティブなことをみつける体質になると思うのです。少しずつですが、わりと効果があります。

人間なぜか生きていると立派なかんじのする人を羨ましいと思いがちですが、私は縁側部長が羨ましいです。特に何もしていないのに、家に福を呼んでくれるようなかんじがするからです。実際どうかという問題ではなく、「自分がどうにかしなきゃ」を手放す習慣としていいと思います。部長に丸投げです。

部長はいいな。もう立派になることを目指していないので、自分もああなりたいです。

という縁側部長の話でした。そのうちあの場所に部下をたくさん並べて「日光浴(単に干しているだけ)」させなきゃなーと思いますが、やりすぎると近所の人に「少しヤバい人」と思われそうなので、ほどほどにしておきます。

ゴミ箱についてはすぐに判断できないのですが、潔癖を家で出すのは嫌なのでちょうどいいところを自分で探そうと思います。

という日々のちょっとした変化についての話でした。