今回の話は、近年SNSに触れながら気付いた話です。


すごく当たり前の話に思われるかもしれないのですが、

「人に何かを教えるのが上手い人」って、いるのです。

(ちなみにですが、私は下手です)


うちの次男の兄は、多分生まれつき

「人に何かを教えるのが上手い人」です。


何が上手いのかというと

「相手の出来具合に合わせること」などの、

「相手目線に立つこと」が、とんでもなく上手いのです。


私は、そうでもないです。

「自分の言葉で、何でも喋るタイプ」です。

(なので、言えないジャンルのことは黙っています)


人のペースに合わせることはできますが。

「自分目線が多いこと」を客観視しています。


子供の頃から、兄の「人に何かを教えるのが上手い」という才能には、全くかないません。


私が「説明上手」になることはあっても、思慮深さなどが、いまひとつに感じるのです。

(自分の感覚での話です)


なので、色んな方のブログを読ませてもらっています。

(色んな角度からの意見を知りたいのです)


ところで、ここからが本題なのですが。


SNS上には

「人に何かを教えながら、人の自信を奪っている人」が、多数いると思います。


もちろん、現実世界にもいると思います。


私もしている可能性があります。

誰でもあると思うのです。


私はSNSに触れるまで、そこまで深く気にしたことがありませんでした。


私は、わりと「下手な人の話を本気で聴いていない」部分があるのです。


私は昔から人のことを

「相手目線になって何かを教えられる人」と

「相手目線になれていないけど、何かを教えたい人」の2種類に分けて、観ていたからです。


正直、相手目線になるのが下手な人を見て

「自分と同類だな(けど自覚はないんだろうな)」と思っていました。


最近つくづく思うのですが。


「何かを教えたり、伝えたりするのが下手な人と接触することで、

相手の立場になるのが下手な人との摩擦で傷ついている人」が案外多そうだと思います。


それは、コメント欄などを見て、気付いたことです。


ちなみに私は、摩擦が起こるほど真面目に話を聴いていないこともあるので、

その感じに気づきませんでした。

(それもどうよ?な話なのですが(^^ゞ)


自己肯定感が低い人というのは、

「コミュニケーション上の摩擦に苦しんできた人」である場合が多くて、


その人の価値とは関係ないでしょ?と、私は思うのです。


上手く書けていなかったら、ごめんなさい。


元々、私は子供の頃に

「そ」と「れ」と大文字の「G」が怖くて、勉強できるかどうか不安だった人なのです。


もし、数字の5がGだったら計算が苦痛です。


多分、兄がいなかったら学校に行くのも少し困難だったのかもしれません(^^ゞ。


言いたいことの説明は、そんなに上手くありませんが。


けど、「コミュニケーションの摩擦問題」は大事だと思います。


ちなみにですが、「相手目線で何かを教えることが上手い人」と


「何らかの才能が凄いと自分で自覚している人」

は、別の人だったりします。

(こちらの人が、人の自信を奪っているケースがあると思います)


そこが、「摩擦の生まれる原因」だと、私は感じています。


というわけで、わりとわかりにくい話だったかもしれないのですが。


そういうことは大事だと思います。


コミュニケーション上の話でした。



付け加え


ちなみにですが、「思慮深さ」を元々持っている人は、凄いと思います。


私は「思慮深さは自力で得られないので、人の文章を多数読んでみたい」

と思っています。


思慮深さを元々持っている人の文章は、雰囲気ごと何かが違います。


私は「書きながら、読みながら」をしながら、努力していこうと思います(^^)。