ロシア・サハ共和国ヤクーツクの歴史は意外と古いようです。この都市の前に訪れたシベリアの中央にある大都市ノヴォシビルスクが1890年代に開発されたのに対して、ヤクーツクは東シベリアに進出したコサックが1632年に砦を築いたのが記録に残っています。現代でさえ空路以外のアクセスが非常に困難なこの地に、中央シベリアから3年ほどかけて遠征してきたそうです。
気候が過酷でアクセスが難しいこの地になぜ人々は流入したのか?
最初は良質な毛皮の交易がきっかけでした。
復元されたものと思われますが、コサックの砦 ヤクーツク市内にて。
永久凍土地帯で冬はマイナス50℃以下になることから、ノヴォシビルスクに比べて街路樹の緑が圧倒的に薄いことに気がつきました。
こちらの砦はもっと古そうです。
マイナス50℃以下になる、地球上でもっとも過酷な気候の都市でありながらも、レナ川が北極海に流れていて夏場は水運も利用できるほか、極東進出の拠点にもなって、毛皮貿易による交易拠点として栄えました。その後、金やダイヤモンドが見つかるとゴールドラッシュの様相となりました。スターリンの時代には政治犯が多く送り込まれてグラグ(強制収容所)が作られて、鉱山の開発に貢献しました。
古い木造民家は傾いているように見えますが、そういう造りなのだそうです。しかし、こんな木造の家でマイナス50℃以下の世界で暮らせるのか疑問に思いましたが、隙間は毛皮などでふさぎ、床にも干し草や毛皮を敷き詰めて暖炉を絶やさないようです。
地元の人が頻繁に出入りするこの建物、最初はサウナかな?と思いましたが、何と銀行でした。
レナ川のほとりにあるロシア正教会 逆光が残念
博物館と書いてあったので入ってみると、地元のおばさんによる趣味の人形収集の展示のようなものでした。一人150ルーブルの入場料の価値に値するのかちょっと疑問。内部にヤクーツクにはなかなか無いお土産キヨスクがあったのは嬉しかったですが、おばちゃんが、あろうことか私が買おうとした写真集を見せてくれるときに、指にペッペッと唾をつけてページをめくりはじめました。(おかげでページに唾の跡がついてます。。。)まあ、そんなところがロシアらしいのですが。
ロシア サハ共和国ヤクーツク
2019年7月