米国と中国との輸入関税をかけあう、
「貿易戦争」の状態が続き、
世界経済への影響が懸念されています。
特に、携帯電話やソフト媒体、製薬、食品の模造による、
中国の知的財産権侵害が問題となって、
世界中のブランド経営に悪影響を与えています。
確かに、良いものを取り入れて、
自国の文化に取り入れる事は、
けっして悪い事ではありませんが、
そのままパクっちゃうのはねェ・・。
なぜ中国が、こんなパクリ文化になっちゃったのかと言いますと、
日本人にも親しみのある、『阿Q正伝』の作者、
魯迅の影響があると言われています。
1930年代での中国では、
アヘン戦争以来、列強の大国に支配された、
植民地政策の中で清王朝が衰退し、
国民の間に、何かを生み出そうという、
希望の乏しい次期でした。
そんな頃、魯迅は東京新宿の牛込で、
日本の学校に留学生として学び、
当時、欧米と肩を並べるほど、
日本の華やかな文化に触れ、
そのようなことから、
この文化的に淀んだ状況から、
中国が抜け出すには、
海外の優れたものを真似してでも、
取り入れるべきだと考え奨励しました。
そこから、中国には模倣文化が根付き、
コピーは悪いことではない、
という考えが広まっていきました。
また、ちょっと前の中国では、
「人民服」という国民服を着用していました。
(現在では、着る人も少なく、入手困難だとか・・)
この服を考案したのは、
清朝を倒し、中華民国を建国した、
革命家「孫文」だそうで、
孫文が、10年間滞在していた日本で、
日本の学生服や、駅員の制服を参考にして、
日本の軍人で、孫文の側近であった、
佐々木到一によって考案されたそうです。
中国では「中山装」と呼ばれ、
「中山」とは、孫文の号の事で、
孫文が日本に滞在していた当時、
日比谷公園の近くに、
中山忠能公爵の邸宅があり、
その表札を見ていたく気に入り、
孫文は、自らの名前を、
「中山」と称するようになりました。
絹製でしつらえた、濃紺や黒の「中山服」は、
当時の中国では正装として用いられたましたが、
1980年代までは、木綿製で緑色のものを、
男女問わず、中国の国民ほとんどが着用していましたが、
故・鄧小平による、改革開放以降は、
首脳陣もスーツを着用する様になり、
国民も、おシャレになって、
すっかり「中山装」も、
見られなくなったそうです。
そう言えば、かつて、
テクノポップで世界を席巻した、
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)
一時期、高橋幸宏氏デザインの「人民服」と、
「テクノ・カット」が、大ブームになった事も
ありましたネ!。
でも、なんか元ネタは、
人民服ではなく、明治時代のスキーウェアなんだそうです。