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今日9月9日は、ケンタッキー・フライドチキンの創始者、
 カーネル・サンダースの誕生日!。

1890年、9月9日、
 インディアナ州ヘンリービルの農家で産声を上げ、
  6歳で早くに、大黒柱の父を亡くし、
   女手でひとつで家計を支える母を助ける為、
    幼い頃から料理を覚え始めました。


缶詰工場で忙しく働く母は、

 2~3日家を空けることも多く、
  ひもじい弟妹たちの為、
   見よう見まねでパンを焼いたり、
    味付けを工夫したりして、
     幼い頃から、料理を作る喜びを培って行きました。



12歳の頃から働きに出て、農夫や、路面電車の車掌、
 鉄道会社の火夫、軍隊、消防士、保険外交員、船の仕事、
  ミシュランタイヤのセールスマンなど、
   様々な職を転々とし、40代の頃、ケンタッキー州に、
    ガソリンスタンドを開きました。


セールスマン時代に培った、接客、サービス精神や、
 保険外交員時代に勉強した、宣伝活動のおかげで、
  店は繁盛しましたが、残念なことに、

   火災ですべてを失ったそうです。


ところが、不屈のカーネル、今度は、
 国道を走る長距離トラックの運転手や、
  旅行者達が、ガソリンや、洗車をしている間に、
   食事を楽しめる様に、ドライブイン・レストランを、
    ガソリンスタンドの片すみに作りました。

 

 

 



レストランは、味が良いと評判になり、
 わざわざ遠回りして食べに来る客も増え、
  店は繁盛しましたが、高速道路の開通で、
   客足が遠のき、店の経営は火の車に・・。

 



そこで、思い切って店をたたみ、
 店で評判の良かったフライドチキンを改良し、
  ワゴン車に乗せて多くの人に味わってもらい、
   各地のレストランに、調理法を教え歩合を頂く、
    というフランチャイズ・チェーンを展開し、
    「ケンタッキー・フライドチキン」立ち上げました。


74歳で経営権を譲る頃には、
 チェーンは600店を超え、
  第一線から身を引いた後も、
   広告塔として宣伝活動に勤しみ、
    世界各国を回りました。


 


もちろん、日本へも度々来日し、
 特に日本での店舗が、
 「私の考えていた通 りのやり方を守り、
   理想のかたちを受け継いでくれている」と、
    一番気に入っていたそうです。




カーネル・サンダースの「カーネル」とは、
 ケンタッキー州に大きな貢献をした理由で、
  45歳の時に、州から名誉称号を授かりました。

(本名はハーランド・デーヴィッド・サンダース)

因みに店頭に飾ってある、
 カーネル人形の白い衣装は、
  鉄道会社に、火夫として務めていた頃のポリシーで、
   どんなに汚れる仕事でも、誠実さと清潔、
    仕事に誇りを持つという精神を表すものです。

 

 



元々は、カナダのフランチャイズ店の、
 イベントに使用されたものを、
  視察に訪れた日本の関係者が持ち帰ったと言われています。

 

 

 



当時、「ケンタッキー・フライドチキン」の店舗は、
 紅白でペイントされていた事から、
  よく床屋と間違えられていた為、
   カーネルおじさんの人形を飾ったと言われています。

メガネにも、ちゃんと度(遠視用)が入っています。