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♪夏も近~づく~八十八夜~、
 野にも山にも~若葉が繁る~

立春から数えて八十八夜を過ぎた頃は、
 気候も穏やかで、霜による被害も少なく、
  茶摘みに最適な時期とされている事から、
   5月2日は「緑茶の日」と定められているそうです。

おせんべや、クッキー、
 お饅頭やケーキなど、コーヒーや紅茶にくらべ、
  何にでも合うしヘルシー。

日本人は緑茶好き。

緑茶といえば、静岡茶が有名ですが、
 静岡県のお茶が全国有数の茶所として広まったのは、
  江戸時代の頃だそうで、
   これには、静岡県に流れる有名な大川、
    大井川が、深く関係するそうです。

「箱根八里は馬でも越すが、
 越すに越されぬ大井川」と言われたくらい、
  当時は東海道最大の難所だった、大井川。

参勤交代や伊勢参りなどで、
 多くの旅行者が、この川を越えなくてはならず、
  雨などで水かさの増えた大井川は、
   不慣れな旅人には大変危険で、
    多くの人が流され、犠牲になりました。

そこで、川越人足が、その日の水かさを測り、
 対岸まで旅人を運ぶプランや運賃、
  病人や老人など、運ぶ順番などを決め、
   川越の補助をしていました。

当時の渡り賃は、今のお金に換算すると、
 だいたい800円位だったそうですが、
  戸板や神輿のような乗り物で、
   豪勢に渡ると4~5万位かかったそうで、
    いい稼ぎになっていた事から、
     幕末の頃には、飯炊き雑用係を含めて、
      800人以上の川越人足がいたそうです。

ところが、明治時代になりますと、
 この川越制度が廃止になり、
  大井川には橋が掛けられ、
   船を渡すようになって、
    大勢の川越人足たちが職を失いました。

また、徳川幕府が無くなったので、
 幕府のお侍さん達も職を失い、
  しかたなく地元の荒れ地を開墾し、
   静岡の気候や地質にあった、
    お茶の栽培へと転職しました。

これには、大井川で働いた、力自慢の、
 大勢の川越人足たちも加わり、
  開墾した事から見事な茶畑が実り、
   全国有数のお茶の名産地として、
    有名になったそうです。

大昔からの茶所だと思ってましたら、
 明治の頃だったンですね。

そんな歴史があったンですね。