時代劇などで、よく見かけた大泥棒。
汚職大名や、悪徳商人から盗んだ、
千両箱を小脇にかかえ、長屋の屋根から
生活に困っていた、病人や
貧乏人たちに小判をバラまいて、
人々から「義賊」と呼ばれた大泥棒、
鼠小僧次郎吉。
じつは実在する人物だったンです!。
「次郎吉」は、寛政9年(1797)に、
歌舞伎、中村座の木戸番の長男として生まれました。
マジメに鳶職や、建具職人をしていましたが、
博打にハマリ、借金で身を崩してしまい、
持ち前の身の軽さや、
建具職人のノウハウを生かし、
27歳の頃から、武家屋敷などをターゲットに
窃盗を重ねるようになりました。
武家屋敷を専門に窃盗を行っていたのは、
たいていの武家屋敷は、警備が手薄で、
被害にあっても届け出をしなかったから・・。
むしろ、後ろめたい悪徳大名などは、
盗賊などに入られると、世間体を恐れて、
まず、お上に届け出る事はありませんでした。
次郎吉は小柄で身のこなしが軽く、
(そこから「鼠小僧」のあだ名がついたのか)
また、人を傷つけることなく、
しかも足がつく品物には手を付けず、
37歳で捕まるまでの、
約10年間、現金だけを狙いました。
じつは次郎吉、一度捕まっていますが、
入墨を入れられただけで、追放されています。
当時、十両盗んだだけで、死罪という時代に、
この刑の軽さには驚きです!。
(やはり被害届が出ていなかったンでしょうね!)
実際のところ、盗んだ総額は不明ですが、
次郎吉が、27歳から36歳で捕まるまでの、
約10年間で盗んだお金が、
約1万2000両とも言われています。
(現在のお金に換算すると、約6億円!)
当時の小判(小判といっても、
重さは時代によって異なります)
安政小判:約9グラム
天保小判:約11グラム
天文小判:約13グラム
慶長小判:約17グラム
一番重い「慶長小判」で換算すると、
千両箱の重量は(箱の重さも入れて)、
約20~21キロ。
しかも、千両箱といっても5百両箱、
2千両箱、5千両箱まであり、
一番多く作られていたのが、
2千両箱だそうです。
2千両箱だと、じつに40キロ。
とても屋根に上がってバラまけない!。
事実、貧しい庶民には配ってはいなかったそうで、
盗んだお金の殆どは、博打と飲酒、
豪遊などで、使い果たしていたとか・・。
後日、次郎吉が捕まった後で、
役人が家を捜索をしたところ、
盗まれた金銭はほとんど発見されなかった事から、
庶民に配っていた美談として残されたのかも・・。
どっちにしても、権力を傘にして、
威張りくさっていた大名や、
豪商の鼻をあかした次郎吉の
胸のすく様な行動は、
庶民にとってのヒーローだったンですね!。
鼠小僧次郎吉は、市中引廻しの上、
鈴ヶ森刑場で打首獄門になりました。
彼のお墓は、両国の回向院にありますが、
その墓石の御利益で、
身に着けていれば、ギャンブル運が強くなる、
というジンクスのため、
未だに削り取られているとか・・。
(なんて罰あたりな事を・・)