最後の握手会を前に、思いつくままに。 | アントニオ(教授)のブログ

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ライブや芝居や映画などのレビューを書いていきます。かなり偏ってますが(笑)

私がかりんちゃんを見つけたのは、2013年8月30日のZepp Tokyoでの「真夏の全国ツアー2013」、2期生だけでのパフォーマンスを見たときでした。「あの、センターで笑顔で楽しそうに歌って踊っている小さい子は誰?」楽曲は「ハウス!」でした。ライブが終わって会場を出て、すぐに検索したのを覚えています。

 

10月、代々木第一体育館での追加公演。楽しかった運動会の思い出(笑)。
この時、かりん党横浜支部の幟を見つけたのですが(今思えば、この時あそこにいらっしゃったのが○○さんに○○さんに・・後々かけがえのない仲間になる方達)、個人的に色々と問題を抱えてて、声を掛けられなかったのも今となっては思い出の1つ。

 

初めての握手は、12月15日幕張メッセでのバレッタ個握。ブログのコメントに、「なぜ(教授)なのかは握手の時に話すね」と書いていたのですが(実は、最初は「アントニオ」と名乗っていたのですが、他に同名の方がいらっしゃったので、(教授)と付けたんです)、それを覚えていてくれたんです。「初めまして、アントニオです」と名乗ったら、「あっ、ブログの・・そうそう、なぜ(教授)なんですか?」と返してくれて。これで私のその後の運命が決まったと言っても過言ではありません(笑)

 

その後、生誕委員になって、横浜支部にも入って、でも現場に行く時間が取れなくて、ウィルソンさんに初めて会ったのは2ndアニラの横浜アリーナでした。この日から2期生の個別タオルマフラー販売で、物販に相当並んだのにかりんちゃんのマフラータオル買えなかったんだよなぁ。。

 

2014年4月20日パシフィコ横浜、気づいたら片想い個握。2014年4月から学科主任になって、学科をまとめることに苦労していた私、かりんちゃんに「生徒会長の時、みんなを上手くまとめるために心がけたことは?」と尋ねたんです。その返事は、「生徒全員を好きになること!」と。かりんちゃんらしいですよね。これは、今でも心に刻んでます。実行することはとても難しいけど。

 

2014年5月5日パシフィコ横浜、初めての生誕祭は、とにかく楽しかったです。肝心の虹のアーチが立たなかった事、我々が四苦八苦していたところを会場入り(?)していたかりんちゃんに見られていたこと、楽しい思い出です。

 

このころ、もちろん握手には通っているのですが、実は、認知に関しては全く意識して無くて、認知してもらっているとか全く考えてなかったんですよ。元々古いタイプのアイドルファンなので、アイドルがこちらのことを覚えてくれるなんてことには全く考えが及ばなかったです。

 

「えっ?覚えてくれているの??」と初めて分かったのは、2014年6月21日パシフィコ横浜、気づいたら片想い個握。「W杯にちなんでサッカーユニで!」ということで、かりんちゃんは福西選手のユニホームで握手していた時です。私は、宮本選手のユニホームで握手に行ったのですが、そこでかりんちゃんが「宮本かぁ、頭の良い選手が好きなんだぁ、そっかぁ、教授だもんねぇ」と言ってくれたんですよ。それで驚いて、「えっ!?覚えていてくれてるの?」と思わず聞いて、かりんちゃんが「当たり前じゃん!」と言ってくれたんですよ(嬉泣)。いやぁ、今の自分から考えると、隔世の感というか何というか。。(苦笑)。

 

http://blog.nogizaka46.com/kenkyusei/2014/06/019049.php

 

2015年2月。3rdバースデーライブ、西武スタジアム。とにかく長くて寒かったこともそうですが、この時初めてスタンド花なるものを出したんですよね。記念すべき最初のお花。この後、あんなにたくさんの花を出すようになるとは。。

 

握手会には行っても地方遠征はしたことがなかった私の、初めての地方遠征は2015年4月4日の1stアルバム個握、ポートメッセ名古屋。当時はここで卒業セレモニーを行う事になるとは夢にも思わず。さてこの日は、記憶がある方も多いと思いますが、「将棋フォーカス」のMCが決まって、翌日5日が第一回の放送、というタイミングだったんです。それで、当時の生誕委員長が横断幕を作り、副委員長の私が品川駅で受け取り、ポトメに運んで掲げたんです。司会就任発表から個握まで時間が無い中、この時の委員長の行動力・実行力には感嘆しました。

 

http://blog.nogizaka46.com/karin.itou/2015/04/023378.php

 

この初めての地方遠征は、もう一つ私にとって思い出があります。それまで個握に通ってもそんなに枚数買ってなかった私、なぜかこのアルバム個握ではかなり枚数買ってて、ここ名古屋でもかなりあったんですよ。で、何ループもする私に対してかりんちゃんが「えっ?なんで?アルバムだよ?大丈夫??」と声を掛けてくれて(笑)。私も、傍にいた初対面のお母様のお子さんの手を引いて握手に行ったり(もちろんかりんちゃんはお子さんと握手なんですけど)、とても楽しかったんです。そしたら、最後、かりんちゃんが「今日の握手で、前よりずっと仲良くなれた気がする!」と言ってくれたんです。嬉しかったなぁ。。

 

二度目の生誕祭。色々ありました。かりんちゃんが「755中断します」と宣言したのもこの時でしたね。755も思い出が一杯です。たんさんリプ貰いました。

 

ここでTLからちょっと離れます。

 

バレッタから本格的に握手や生誕に参加するようになって、でもスペイベは参加というか応募もしていませんでした。だって当たるとは思えなかったから。実は、バレッタ、気づいたら片想い、夏のFree & Easy、何度目の青空か、全て「メンバー全員サイン入りポスター」当選してます。全て額に入れて飾ってあります。それが、次のシングル、命は美しいからスペイベ応募に変更しました。最初のスペイベは私物サイン会で、かりんちゃんを見つけた2013.8.30のチケットの半券を持っていきました。そのチケットに、「この日のおかげで出会えたね」「大スキ」と書いてくれたかりんちゃん。今じゃ絶対書いてくれないだろうなぁ(苦笑)。二度目の私物サイン会では、このチケットを特注の額に入れて持っていきました。一目見て、「サインの上にサインってうるさくない??」と笑っていたかりんちゃん。「もう「アントニオ教授」とは書いてあるから、他の呼び方がいいね」と言って、本名を書いてくれました。この額は、今でも職場に飾ってあります。スペイベは、幸いにもその後何回か当選しまして、録音会二回、ボウリング二回、黒髭一回、参加させてもらいました。最初のボウリングは、事前にプロのレッスンを受けたんですよね。結果は。。でしたが。録音会では、「もし当選したら「てって」やってね!」と言っていたにも関わらず、結局実現せず(苦笑)。この辺のやり取りは755でやってたんですよね。懐かしい! スペイベではありませんが、1stアルバムの時にチェキ会もあったので、ツーショットチェキ、サイン、音声、すべて残っているのは幸せとしか言いようがありません。ただ、似顔絵会に当選しなかったのが本当に悔やまれます。。

 

TLに戻ります。

 

さて、かりんちゃんの握手といえば、忘れられないことが2015年にありました。握手部数の減少です。2015年9月14日のブログで、「どうして部数が減ったのか私には分かりません」と語っています。それで、余計なお世話と思いつつ、9月22日の握手会で、「ブログを充実させよう、質問返しを再開したら?」と伝えました。すると、9月23日のブログに、質問返しを再開しますと書かれていて。この時のことについては、以下のpdfを参照ください。

 

http://www.ji.u-tokai.ac.jp/hamalab/hama/karin_ito_blog_analysis.pdf

 

2015年12月は、武道館でのアンダーライブ二日間も忘れられません。初日にはらりんの卒業発表もあったんですよね。「13禁」を披露したとき、セットの階段を利用して全員でクリスマスツリーの形を作ったんですが、その時、頂点がかりんちゃんだったんですよ。ツリーだと輝く星の位置、扇だと要の位置。「あぁ、らりん卒業後はアンダーはかりんちゃんが引っ張る、って事だよな」と感じたことを覚えています。実はこのライブ、いつもは天空席の私がアリーナにいた時で、私は「かりんちゃん、レスくれないよー」と思っていたところ、後日握手会で確認すると「一生懸命レス送ってるのに気づかないんだもん!」と怒られてしまったことが(苦笑)。推しからのレスに気づかないヲタク、という大失態を演じてしまいました。でもこれも今となっては懐かしい思い出。

 

2015年といえば、私にとって忘れられないことが起こります。その後の私のヲタク人生をも変えてしまったといえる出来事、そう、欅坂46の結成です(笑)。この後のかりんちゃんとの握手は、本当に欅坂&今泉佑唯さんに関する話題が多かったです。乃木と欅の個握が重なった日、一日で欅21人全員握手した後にかりんちゃんにそれを報告したら「尊敬するわー」と言いつつ引かれたり、まだ欅坂オフィシャルの個別マフラータオルが無かった時に、ずーみんのタオルを作ってかりんちゃんに見せに行ったり、緑の服を着て行っただけで「その色、何?」と突っ込まれたり、乃木のクリライは行かないのに欅のワンマンは二日とも行くと言って怒られたり。でも、そんなやり取りの一つ一つが私はとても楽しかったし嬉しかった。ずーみんが休養することになった時、「戻ってきたら、支えてあげてね」とかりんちゃんが言ってくれたことは、多分ずっと忘れないと思います。

 

他のアイドルと言えば、ハロプロ系の話もたくさんしました。キッズのオーディションを受けていただけに、℃-uteの解散ライブは参加したかったとのこと、私が℃-ute推しで解散ライブも参加したのでその話をしたり。逆にベリーズ工房の最後のライブは私が参加できずでかりんちゃんが確か参加で。道重の卒コンについては、755でコメントもらいましたね。懐かしい。。

 

「初めまして」から始まった握手での会話、まさかこんなことを話すようになるとは夢にも思いませんでしたし、話せる関係性になれるとも思っていませんでしたし、というか、なりたい、とか、1mmも思わずに握手に通ってました。不思議です。この辺の話は、卒業セレモニー後に改めて書きたいと思います。

 

さて、後半は駆け足になってしまいましたが(笑)、それは小学校よりも中学校の方が時間が経つのが早いようなもので(苦笑)、記憶に残る懐かしい思い出はやはり前半の出会いの時期に多いものですよね(言い訳)。

 

そんな、もう生活の一部と言っても良いような、5年半もの期間に渡り定期的なイベントとなっていた握手会が、この週末で終わろうとしています。正直、まだ実感がありません。どんな気持ちで当日を迎えるんでしょうか?生誕祭の準備で忙しくて感傷に浸っている時間は無いのかもしれません。終わって暫くして実感が湧いてくるのかもしれません。分かりません。何を話すか、何も考えていません。逆に、何を話せば良いのでしょうか?以前、まっちゅんが、「何も話すことないなら見つめ合いましょう」と発言したことがありました。いつどこでの発言かは忘れましたが。。もしかしたら、そうなるかもしれません。そうなったら、それはそれで最後の良い思い出になるのだと思います。吹き出しそうですが。でも、なんだか、卒業後の方がもっと仲良くなれるような気もします。根拠はありません。でもそんな気がするんです。かりん党界隈のBBQとかにフラッと現れたりとか。とにかく、1つだけお願いがあるとすれば、このブログをかりんちゃんに読んでもらいたい。5.11の前に。そして最後の握手に臨みたい。どんな話が出来るんだろう。分かりません。何も分かりません。どうなるか分からない自分を楽しみにするような余裕もありません。初めての心境。もう目の前です。頑張ります。何を? でも、とにかく頑張ります。何をやっても、何を話しても、後悔して終わるような気がしますが、とにかく頑張ります。

 

かりんちゃん、宜しくお願いしますm(_ _)m