2月12日、午後半休、ミニベロで旧西尾区歴史ポタ。
 
1.法厳尼寺駐車場の花々編
に続いて、
 

 

今川氏発祥地と今川了俊墓

今川町付近は「今川荘」と呼ばれた荘園で、

 鎌倉時代初期に足利義氏から吉良長氏に「装束料」として与えられた。

後に長氏は次男国氏に伝えた。

国氏は荘園に因んで今川氏を名乗り」、今川氏の祖となった。

 

ここは今川町。

私の家の住所は、ここから少し離れた今川町落です。

 

 

今川氏発祥地 愛知県

 

 

吉良氏800年の軌跡

今川氏発祥とゆかりの地

今川氏発祥の地

吉良・今川氏の祖足利(吉良)長氏は足利本宗家をつげなかったかわりに

 吉良荘を譲り受けた。

吉良荘内の今川の地はやがて長氏の次男国氏に譲られ、

 この地名から今川氏を名乗ることになる。

市指定史跡今川氏発祥の地には「今川氏発祥地」の碑の奥に

 南北朝時代に九州探題として活躍した今川了俊の供養塔がある。

 

 

今川

承久の乱後、足利義氏が三河国の守護に任ぜられた。

義氏の嫡子長氏は、義氏が足利へ帰った跡式を継ぎ、吉良荘にちなんで吉良氏を名乗った。

吉良家は二代満氏へと伝えられた。

今川荘は長氏が少年時代に義氏から装束料として贈られた地で、

 長氏は次子国氏に伝えた。

国氏は荘園の今川を名字とし、今川氏の祖となった。

今川の地名は荘名の名残りと伝えられる。

 

 

今川了俊の墓。

 

 

墓誌

今川貞世は今川氏の祖国氏の孫にあたる範国の二男で、南北朝時代の人である。

近江国守護職、九州探題をつとめた。

武将として功の合ったほか、令泉家歌風を伝える歌人として名をなし、

 また、文人としても知られた。

のち入道して了俊、徳翁とも称し90歳を生きた。

今川貞世入道了俊君墓

 

 

山茶花。

 

 

 

 
諏訪神社。
 
村社 諏訪神社
 
拝殿。
 
諏訪神社
 
諏訪神社
 
本殿。
 
 
向こうは西尾中学校。
中学校時代の写生大会、ここから絵を描いて賞をもらったっけ。