人の数だけ冒険が有り、冒険の数だけ物語がある。
特に海賊なんてやっていれば、誰かに語って聞かせるだけの価値のある不思議な話の一つや二つ、誰にだって有るものさ。
勿論、俺にも。
なんたって俺は、幼い子供をイギリスに残し、ブラックパール・・そして・・嫌々、誰もが知っているそんな名前を出すのはやめておこう。
これは、ある海軍の男のお話だ。
彼の名前だって、聞いたことがあるものも多いだろう。
ジェームズ・ノリントンって海軍の提督だった男の話さ。
と言っても、皆が知っている話じゃあない。
海賊が猛威を振るう裏で、己の正義と愛のために生きた男の末路・・
知っているって?嫌そうじゃないんだ。
これは、生きている人間は誰も知らないストーリーさ。
彼の生い立ちを少し話さなきゃならないな。
彼の父親は海軍の大将だった。
海賊を毛嫌いしていた。一網打尽にすることを生き甲斐にし、そんな自分の姿を息子の手本にしようと、海軍の船で同行させていた。
それが不運の始まりさ。
追い詰められた海賊の抵抗で、ジェームズは海に落ちた。それを助けたのがちょっと厄介な海賊さ。海賊の掟の番人と言えば、分かるやつには分かるだろう。
兎も角、海賊に助けられるような息子は、溺れて死ねば良かった・・そう父親は言った。
その事を覚えていたのかどうか・・立派に成長したジェームズは、海賊に対しては非情に、常に正しくあろうとして居たのさ。
自分に対する父親の失望を払拭するには、そうするしかなかったのだろう。
父親の正義を信じていたしね。
そんな彼が落ちぶれた原因を作った海賊が、幼い日の彼を海から救った海賊の息子と来ているから、皮肉だねぇ・・
嗚呼・・名前は言わないよ。知っているだろう?
そんなジェームズの、誰も知らない話を聞かせてあげよう。
どうしてそれを俺が知っているかって?
それはほら、生身の人間だった彼に剣を付きたてたのが、他でもない俺自身だからだ。
あの時彼は、愛する女性と、己の中の正義の為に囚われの海賊たちを逃がした。
それは良かったんだが、その時、船に意識を囚われ朦朧とした俺が現れ、それを阻もうとした。
いいんだ。恨んでくれ。
息も絶え絶えな彼に、彼の男が選択を迫った。いつもの事さ。
けれど彼は屈しなかった。もう二度と自分の信念を曲げることを潔しとしなかったんだ。
俺の話はその後に始まる。
ちゃんと聞いて伝えてくれ。
あの有名な物語で、彼の死を悼み涙した総ての人に届けたいんだ。
既に、脱走した海賊たちを乗せた船は遠くに姿を消し、彼の男に背中を向けられたジェームズの命の灯火は消える寸前だった。
そのとき彼を見ていたのは、うつろな瞳の俺だけだった。
暗い海中で水が跳ねた。
次の瞬間、月に照らされて水しぶきが3回転したんだ。
虚ろながらに、驚きの目でそれを見ていた。
その水しぶきは甲板に向かってきて、穏やかな水音と共に現れた姿があった。
オーロラって知っているか?
そう、オーロラだ。
大層綺麗らしい。俺の息子は見たらしいが、俺は見ちゃ居ない。話に聞くだけだ。
だけどきっとこんな色なんだろうなぁ・・と思うような、そんな不思議な色の尾ひれを持った女の子だった。
人魚ってヤツさ。海で会うと不吉といわれているが、その子は他とちょっと違った感じだった。その理由は後で分かる。
兎も角その人魚は、ジェームズの傷に口を当て、その血を含むと、自らの指先を噛み、滲んだ血を、彼の唇に押し当てた。
彼の口が赤く染まるのを見て取って、唇同士を合わす。
官能的というより、神秘的な儀式と言う感じだったな。
気を取られているうちに、何がどうしたのか・・彼の胸の傷が見る見る塞がって行った。
途方に暮れている俺に、初めて気が付いた・・と言う風に視線を向けると、何と例えたら良いんだろう・・人の容姿を褒めるような意味合いじゃなく、もっと超自然現象的に美しい笑顔を見せたんだ。
次の瞬間、彼女は姿を消した。
正確に言えば、甲板からするりと海に落ちたんだ。
脇にジェームズを抱えてね。
まるで夢でも見ていたようさ。
朦朧とした意識が見せた幻だろうって?そうじゃないことは、その後分かるんだ。
その後行われた海賊対海軍の紛争の事は知っているだろう?
その結果、俺の息子がどうなり、俺がどうしたかも?
そう、その通りだ。
親子水入らず、俺たちは彼の男の後を継ぎ、あの船で、海で最期を迎えた死者達を行くべき世界へ導く任務を遂行していた。
父親の俺が言うのもなんだが、息子はとても真面目でね。普通に生きていれば立派な人間になっただろう。
嫌、いいんだ。あんな身でも、あれは立派な自慢の息子だから・・
向こうの世界を航海している時に、あの人魚が再度現れたんだ。
船首の上にちょこんと座っていた。
「お願いが有るのよ」
彼女はそう言った。ちょっと不思議な声だったなぁ。
「暫く乗せて欲しいの。私たちを」
そう言って、彼女が身を避けて現れたのが、ジェームズ・ノリントンだった。
驚いたのは俺だけじゃない。別の意味で息子も驚いて居たさ。
長い付き合いの恋敵だった訳だから。
俺が驚いたのは、彼女の尾ひれがあった場所に、白い人間の足が付いていたからだ。
「乗せてくれる?」
彼女は再度そう言った。
我に返った息子は、ジェームズの無事を喜び、見慣れた顔を思いがけずに見られた喜びを熱く語っていたよ。
そこが何処かを忘れていたんだろうなぁ。
船長である息子の許可が出たので安心した彼女は、暫く出掛けて来る・・と海に飛び込んだ。
足は人の足のままだった。
半病人のような生気の無いジェームズだが、船の上で徐々に調子を取り戻し、これまでのことをポツリポツリと語ってくれた。
話はちょっと前後するが、皆が知っている物語ともちょっと関係が有る。
それはこんな話だったんだ。
落ちぶれて成り行きで海賊船に乗ったジェームズは、嘗て愛した女性に再会したことで少しずつ正気を取り戻していた。
「正義とは何か」海賊たちの中に居て、それを自問自答する日々。
それなりに楽しかったし、以前より、彼女と分かり合えた気もした。
勿論その彼女の目に自分は映っていないのだが。
嬉しくも有り、辛くも有る。誰を恨むのか、何を恨むのか。そんな葛藤の中、最後には、やはり正義とは・・と言う問いに戻る。
ここで彼らを倒しても、それは、彼らと同じ侵略行為にしかならない。それに気が付いたジェームズは、自分はやはり、海軍の正義の名の下で生きたい・・そう切望するようになる。
そんな時、思いがけず状況を左右する重要なアイテムが目の前に転がってきた。
これを手にしたものが、海を支配できる・・そう言う代物だった。
おとりになる振りをして海賊たちと別れると、まず島を出る為に船を捜した。
嘗ては人が住んでいた無人島に船は無く、仕方が無くいかだを作るための廃材を集めることにしたジェームズは、海沿いの小屋を解体していた。
岩場に建てられたその小さな小屋の床板を剥がしていて、一箇所だけ、頑丈に閉ざされた場所を見つけた。
そこを何とかこじ開けると、そこには地下に続く階段が有った。
下で水の跳ねる音がした。
光を塞ぐ壁を取り払い、下りてみると、そこは四方を岩に囲まれた潮溜まりだった。
「ボート置き場か?」
とも思ったが、そこには何も無く、勿論外には繋がっていない。
魚一匹出入り出来ない潮溜まりだった。
長い間閉鎖されていたのだろう。空気も淀んでいる。
見渡し、その場を後にした。
微かに、水面が波立っている事には気が付かなかった。
何とか島を離れよう・・と、彼がこしらえたいかだは、彼一人がやっと横たわれる程度のものだった。何とも無謀な船出だった。
まぁ、何処かの船に拾って貰うまでのつなぎのつもりだったのだが、船は中々現われない。
暑さと空腹で朦朧とした彼の意識に話しかけてくる声が聞こえた。
「何が欲しいの」
小さいけれど、よく響く声だった。
「ラム酒と・・食べ物・・」
彼は己の欲求のまま応えた。
俄かに、就任式の喜ばしいパーティーの場面が思い浮かび、その渇望するアルコールと食欲をそそるご馳走の匂いがしてくるようだった。
はっと我に返り飛び起きると、果たして、それらはそこに有った。
パーティーほどの量では勿論無いが、喉を潤し、空腹を満たすだけのご馳走が。
ついにおかしくなったかと、声を立てて笑ってみたが、状況は変わらない。
もしや、在る物の引き換えに・・と思い、慌てて探るが、例の物はまだそこに有った。
空腹と乾きに勝てず、ジェームズはそれに手をつけた。
まずラムを派手にこぼしながらラッパ飲みし、焼いた肉、果物、パン・・と手を出して行く。
それは思いがけず、豊かな味わいで、飢えを癒してくれる。幻とは思えなかった。
「これは何だ?」
思わず声に出して問う。
波の音しか応えない。
酔いに任せて横になると、
「日除けが欲しい・・」
そう思いのままにつぶやいてみる。
偶然だろうか・・青空に浮かぶ小さな雲が、陽の前に立ち塞がった。
ジェームズは波に揺られ、心地良い酔いに誘われるまま眠りに落ちていった。
どれ程の時間が経ったのか・・辺りはすっかり暗くなっていた。
波の音に混じって、何かが響いている。
音か、声か、何とも不思議な響きだった。
夢の中でもずっと聞いていたような気がする。
ぴしゃり・・と何かが水を叩く音がして、視線だけでそれを追う。
月夜の光を受けてしなやかな魚の尾ひれが、彼のいかだに沿うように水を叩いていた。
「歌っているのだ」
そう気が付いた。
尾ひれは、歌に合わせて動いている。波と同調するように響いている。
眠っている振りを続けながら、そっと視線を巡らせ、彼は見つけた。
いかだに手を掛け、しなやかに泳ぎながらいかだを運ぶ人魚の姿を。
月と波が共鳴するような、神秘的なその歌声を発しているのも彼女だった。
暫く眺め、思わず体を起こしてしまい、その瞬間彼女は海面下に消えた。
しまった・・と思いながらも、尚もいかだが進み続けるので、
「行き先は?」
思わず聞いてみた。
暫く海面は静かで、それからゆっくりと波立ち、目までだけ顔を出した彼女がじっとジェームズを見つめていた。
「行き先は?」
もう一度彼が問うと、彼女は少しだけ近付き
「あなたの望む場所に・・」
先程の歌と同じ声でそう答えた。
「食べ物も君が?」
「そう望んだから」
「何故だ?」
ジェームズの問いに、彼女はくるりと円を描いて泳ぎ、元の場所に戻った。
「助けて頂いたので」
そう言うや否や、彼女は海面に姿を消し、少し離れた場所に現れた。
「長い長い間、狭い狭い岩間に閉じ込められていたの。」
彼女はゆらゆらと左右に泳ぐ。それに導かれるようにいかだも進んだ。
「あの小屋に?」
「ええ」
「誰に?」
海の物語はいくつも聞く。そのどれもが何かしらの真実を含んで居る事を、ジェームズは学んだ。これは何に属する物語だろう。
「お母様が、ポセイドンの息子の目を奪った男の子供を生んだから」
彼女の応えはそうだった。
ポセイドンは、海の神様。神話の中の話だ。
だが聞いたことが有った。
「君の父と母の名は?」
喉元まで出掛かっているその名を彼女が声にした。
「父の名は、オデッセウス。母の名は、カリプソ」
事も無くそう答えると、彼女はくるりと回転した。
「いつの話だ・・?」
「あなたも、あなたの親も、祖父母も、生まれるずっと前の話よ」
「聞かせてくれ」
ジェームズの言葉に、嬉しそうに尾ひれを海面に打ち付け、彼女はいかだに腕をかけ、その上に頬を乗せて、語り始めた。
遠い遠い昔、大きな争いがあった後、イタケの王オデッセウスは、帰国の途中、彼に一目惚れした仙女カリプソによって岩場に幽閉される。
そこで長い長い時を経て、風の神らの計らいで、カリプソは泣く泣くオデッセウスを開放したのだが、最後にひとつお願いをした。彼の子供が欲しいと。
オデッセウスには、既にイタケに息子テレマコスが居たが、帰国できる喜びからその願いを聞き入れる。その子を地上では育てない・・と言う約束をして。
けれども、その帰路オデッセウスは海の神ポセイドンの怒りを買い、その旅路は長く困難な物となる。その間、カリプソは宿った命をお腹の中で暖め続けた。
神々の計らいでやっと怒りが解け、イタケの地に帰り着いたのを見届け、ひっそりとカリプソはオデッセウスの子供を生んだ。
女の子だった。彼の息子の名に因み、テレスと呼ばれた。
暫くは平和に育てられたテレスだが、やがて、海の神ポセイドンの知る所と成る。
わが子の両目を奪った男の子供が、自分の海で育まれて居る事は許せない・・と怒りをあらわにしたポセイドンだが、命を奪うことは憚られた。それほど愛らしい幼子だったのだ。
けれども、オデッセウスとカリプソの地上では育てない・・と言う約束も、蔑ろにする事は出来ない。
悩んだ結果、幼い少女は、生きながらえさせる代わりに、水の中で生きる人魚の姿にされ、狭い潮溜まりに幽閉された。
嘗ては神を崇める者達が、彼女の潮溜まりを神聖な物とし周囲を守ってきたのだが、いつしかそれは廃れ、小さな小屋で覆われたまま忘れ去られてしまった。
不憫に思ったポセイドンは、彼女を幽閉から解き放てるのは、人間の男の手でのみ・・と言う条件を付け足した。
それでも、長い時がかかった。
そして、その日がやってきた。
ジェームズ・ノリントンが、オデッセウスとカリプソの隠し子、テレスをポセイドンの怒りから解放したのだった。
「だから、恩返しに、この航海が無事成し遂げられるように、私が力を貸すのです」
長い長い壮大な物語を語り終え、満足そうに彼女は海中に消えた。
幸運か不運か・・と、問われたら、紛れも無く不運であったジェームズの人生に置いて、これは思いがけない幸運だっただろう。
彼の無謀な航海は、人知の及ばぬ存在の娘テレスによって、安全で快適で滞りなく進む確約を得たのだった。
間もなく彼が目的地に辿り着き、どう言う運命を辿ったか・・涙なしでは思い出せない人も居るだろう。
ああ。俺の手で行われたのだから、責めてくれて構わないさ。
ただ、それが海賊稼業というものなんだ。言い訳かな?
けれど、テレスの加護の下にあったジェームズは、すんでの所で助けられた。
自分の血とジェームズの血を混ぜたテレスは、人魚としての力を失った。
それでも勿論カリプソの娘。英雄オデッセウスの娘。
その能力は計り知れない。
人魚ほど水中を早く泳げなくなったかもしれないが、それでも水の中で自在に動ける。
瀕死の彼を傍らに抱き、水中深く潜ると、空気を湛える隠れ家に彼を匿った。
母の怒りの嵐をやり過ごし、ジェームズの回復を待ちながら。
そして、時が満ち、海には新たな導き手が現れた。
そう。俺の息子のウィル・ターナーだ。
テレスは息子が信頼に足るものと見定めたのだろう。
自分の血を流し込んだ事によって、生身の人間ではない物になったジェームズを元の世界に戻すためには、ウィルの協力は不可欠だった。
黄泉の世界で彼らは出会い、やがて彼らの世界へ・・
テレスは、また自分を幽閉の身に戻した。
だけど、それは今までと同じじゃない。
ジェームズを地上で、人として生きさせる代わりに、その身を、ウィルとその船に預けたのさ。
彼と同じ、10年に一度、地上に行ける。
ウィルが最愛の妻と子供に会うように、テレスはジェームズ・ノリントンに会いに行く。
それが、彼女の選んだ道だ。
その後、ジェームズがどうしたかって?
どうしたと思う?
ある島で、港を守っている。
港と、ある母子をだ。
彼が嘗て愛し、命をかけて逃そうとした女性。ウィルの妻子を。
悲運を受け入れ結ばれた二人を、誰が邪魔できる?
エリザベスの為に、テレスが海でウィルを守る。
ウィルの為に、ジェームズが陸で妻子を守る。
だから、ウィルは、ジェームズの為に海でテレスを守る。
それが、ジェームズとテレスが選んだ生き方だ。
それは、ウィルがあの船であの任務を続ける限り続く。
何故なら、テレスの血を流し込まれたジェームズは、ウィルと同じで年をとらない。
長い長い命を持っている。
けれど、テレスが死ねば、彼の命も尽きる。
彼は、テレスがウィルを守り、ウィルがテレスを守る限り、陸で、一人年老い死んでいく彼女を看取り、ウィルの心臓の守主となるその子、孫、子孫を育み守り続けていくのだ。
理屈なんかじゃ無い。それが彼の見つけた正義さ。
だからどうか、もう彼を哀れむのは止めてくれ。
ちょうど10年。
今日の彼の幸福な表情を、見せてあげたいね。