『光のほうへ』と『バビロンの陽光』 | 空のブログ

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見た映画

今日は、金曜レディースディの銀座のミニシアターで2本観賞。


ええ、3/11映画鑑賞中に地震にあったあのシアターです。
観賞パターンも前回と一緒。
午前は地下の部屋で、午後は3回の部屋。


まず『光のほうへ』


あまりに健気な兄弟・・そしてマーティン。
健気で美しい子供たちだわ。

お兄ちゃん、優しすぎるよね・・
愛した人が忘れられず、病的なその弟の世話を焼いたり。
まだ乳児だった弟が死んだ責任を抱え、自分が幸せになる事を放棄している感じ。
だけどもっと早く、もう一人守るべき弟が居る事を思い出し、そばに居て支えてあげたら良かったのに・・
辛い記憶を避けるように疎遠になったのかな・・

そして弟。
妻を亡くし、息子と2人。ギリギリの生活。クスリ漬けの日々。
息子を愛している。でもそれとクスリは別なのかな・・逃避なのかもね・・
それが無かったら、幸せになれたかも知れないのに。
繊細すぎたのね・・

子供の頃の出来事と、母の死と前後するそれぞれが追い詰められるエピソードの構成。

救いは、マーティンの愛らしさ。
ニックの手をとる力強さ。

とても悲惨な境遇に育っているけれど、何で、彼らはあんなに良い人なんだろう。
弱者だし、底辺で生きているのに、人に優しい。

育児放棄した二人の母親をは違う。
何より、弟は、息子マーティンに例え離れても、自分が死んでも、愛されていると信じて頑張れる絆を与えた。
とてもささやかなものだけど。
それが有るから、彼はこれからもきっと愛を持って生きていける。

私が、死んだ父から欲しかったのも、本当に、そんなささやかな物なの・・
いくつになっても、子供じゃ無くても、そう言う証が欲しかったの・・
久し振りに泣けました。



その後、時間が空くのでランチをしようとうろうろ。

でも、どれもぴんと来るお店が無く。
行きなれたお店も、今日のランチに惹かれず・・
結局、避けたかった震災日と同じパターンのパンの「キムラヤ」の2階カフェで一人ランチ。


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まぁ、このシアターに来たら、ここでランチって、パターン化してるから。

美味しいし。


そして、ランチ後『バビロンの陽光』。


2003年、何していたかな・・
今から8年前。
育児の真っ最中だったな。

12歳のアーメッドにとって戦争はおとぎ話と同じだったのだと思う。
フセインもバビロンの空中庭園の伝説も音楽家の父も。

祖母の、息子は身体の一部。無くせば解る・・と言う気持ち、凄く良く解る。
戦争で奪われた息子。生きていると信じ、会いに行く。
長く過酷な旅をして。
「孫には父親が必要」そう言いながら、我が子に会いたかったのよね。
凄く良く解るよ。

過酷な状況下で、逞しく生きる子供たち。
傷付いた大人たち。
危険な中不定期ながら運行するバス。
助け合うことが出来る事が素晴らしい。


どうしても、3/11の震災を思い出すの。
あの日もバスは満車で、途中バス停では人を乗せられず、始発駅はバスを待つ人でいっぱい。
沢山の人が歩いた。
私も歩いた。
家で息子達が待っていたからね。

あちこちに、埋められた遺体。
掘り起こし、身元を調べる横で、家族を探す女子供の群れ。
今尚身元不明の沢山の遺体。

一緒でしょ・・

死に行く人、愛する人を失った人、発掘される大量の遺体、心の傷に苦しむ虐殺を強要された若者。

それらを見る内に、祖母は、受け入れるしか無くなる。
息子はもう死んだのだと。

それを認めた途端、厳格だった祖母は衰えて行く。

そして、それまで子供だったアーメッドは、ずっと祖母が持っていた重い荷物を変わりに持ち、父を探す自覚を持つ。
幻想ではなく、真実を探す覚悟を。


辛いよね・・子供で居られない子供は。

でも、ほんの一例。
沢山の人たちが、愛する人を失い、傷付き、失望した・・

子供を失った母親の悲しみは、何語を話そうと、何を信仰しようと、変わらない。
なのに、何故戦いは起きるのだろう・・

このシアター、今、相反する親子モノを2本上映してる訳です。

どっちも良作でしたよ♪