四つ葉のクローバーでちよ🍀


(なぜか、不機嫌)


さて。


倶利伽羅峠をはやく書き上げようと

思います。



巴塚と葵塚がまずありました。




ため池(?)から、50メートルほど

山に入ります。



ここから上が巴塚。



一説によると、和田義盛と夫婦になり

和田義盛も亡くしたあと

91歳で他界し、こちらに葬られたとか。



こちらは、葵塚。


葵も、義仲の妾の女武者だったらしく

倶利伽羅峠の戦いで亡くなったそう。


巴と仲が良かったらしく、


葵の側に眠りたいと、巴御前が言い遺したとか。


山吹御前もいたとも言われますので、

義仲軍勢には女武者部隊があったのかも?


(そして、みんな仲良しだったのかも?)



このあたりは、北陸街道で

昔から交通の要所だったようです。



芭蕉句碑ひとつめ。



あかあかと日はつれなくも

あきの風



こちらは万葉集の歌碑みたいです。



そして、芭蕉句碑ふたつめ。



義仲の寝覚めの夜か

月かなし


倶利伽羅峠で一夜を明かしたのかな。


倶利伽羅峠の戦いのシーンを思い返しながら

いくつもの句を作りながら

夜を明かしたのかもしれません。



いよいよ峠へ。

トイレマークも源平合戦風です。



「牛に火がついてまち!

危険でち!!」




尻尾を下げて、ちょっと警戒中の歴犬。




たしかに躍動感溢れる牛なので


犬目線で見たらコワイかも。あせる



こちらは慰霊塔。


「たくさんの血の匂いが。

しょぎょーむじょーでち。」



倶利伽羅峠の配置図。


薄い青マークが前日の義仲軍。

夜半に濃い青マークまで軍を進めたのですね。


「芭蕉塚が平家の本陣やろ?

義仲軍はどこから攻めたんやろ?」


と、あちこち歴犬と

見渡し地形確認をしていたところ


「平家は10万やねんろ?

1人1mとしたら、100kmやで?

そんなピンポイントの話ちゃうねん」


と、彼が言い出しました。


1人1メートル使ってはいないとしても

そんな計算

考えもしなかった!ガーン


100キロ?!

1人うずくまって寝て50センチとしても

50キロの長さなの?


なんか想像できないんですけど。あせる



展望デッキがありました。


「この下が地獄谷でちね。

この谷に平家がみんな落とされたのでちね。

わたちとスマホは

落とさないでくだちゃい




写真ではあまりわかりにくいですね。


峠を超えて反対側におりていきました。




反対側から登ってくると、


まさに倶利伽羅峠が「峠」で、

右も左も、絶壁だとよくわかります。


ぜひ反対側への道も進んでみてください。





護国八幡宮で買った冊子。


軍配置図や木曽願書から、

ハイキングコースまで、とても中身が濃く

300円とは思えません!!


わくわくします。


わくわくしすぎると寝不足になりますから




 

こんなのもあるんですね!(゜o゜;

 

 

 

 



ではでは、たのしい週末を




お過ごし下さいませ


オーナメント