こんばんは。
泳ぎにいけないので、スクワット100回を代わりにしているRinです。

(一度にではないですよ!1日トータルね!)

さて。

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プノンペン2日目です。

初日に1日チャーターを約束したトゥクトゥク運転手さんが、
時間通り8時半に迎えにきてくれました。

プノンペン、ヘルメット着用率が高いです。

お行儀良いのですよね、みなさん。


アジア的な風景も見ながら、
郊外へとトゥクトゥクは進みます。


最初の目的地、キリングフィールドです。

キリングフィールドは、カンボジアのあちこちにありますが、
プノンペン郊外のキリングフィールドが一番大きな施設になっています。


入場料は5ドル。

15か国だったか、かなり多くの言語に対応した
解説オーディオが無料で借りられます。

日本語ももちろんあります。


各ポイントで、オーディオの番号を入れると、詳細な解説が流れてきます。


図や解説文もありますが、オーディオは解説だけでなく、
当時の証言などもあります。


ゆっくり木陰でオーディオ解説を聞けるスペースもあります。


兵器の節約の為、
そして、悲鳴を外に漏らさない為

この木のトゲをナイフ代りに喉を掻き切ったと解説されていました。


「遺骨はすべて回収されたわけではありません。
もし発見された場合は、手にとらずスタッフにお知らせください」

まだごく最近の出来事なのです。


最初の頃は衣服をもぎ取ってから殺していたそうです。

「カンボジアの女性は水浴びのときも着衣のままです。
人前で衣服をもぎ取られることが、どれほど屈辱的なことか
お分かりいただけるかと思います。」

途中からは、衣服を剥ぎ取る作業すら労力削減の為やめたそう。


幼児のまだ真新しいズボン。
本当にごく最近のことなのだ、、、
と痛感させられます。


ミサンガがたくさん掛けてあるこの木。

幼児の足を持ち、頭部をこの木にぶつけて殺したそうです。

キリングフィールドの実態は当時隠されていました。

解放後、なにも知らなかった農民が、芋を探しにきて、

「なぜこの木には髪の毛や血がたくさんついているのだろう?
なぜ悪臭が漂っているのだろう?」

と不思議に思って、ふと周囲を見たら、遺体の山だった

と解説されていました。

「親を殺された子どもは将来クメールルージュに復讐する」

という理由で、幼児もすべて殺されたそうです。


遺体はすべて、年齢層別、死亡理由など
鑑識が行われて分類されています。


姉と従兄をクメールルージュに殺され、

「あなただけは生き延びなさい」

とお母さんに言われてタイまで歩き、
アメリカに亡命した青年の証言。

「クメールルージュに復讐することが、母の望みだと思っていました。

しかし、カンボジアで初めて選挙が行われ、
国連職員として祖国に戻ったときに、

母の本当の望みがわかりました。

ただ生きていてほしい。

母が望んでいたことは、それだけだったのです」

「私たちは、まだバラバラに割れたガラスの破片を拾い集めている最中です。

貧しい中、懸命に働く男性の中に死んだ従兄の姿を見、

子をあやす若い母親の中に死んだ姉の姿を探しています。」

という内容が語られていました。

いまだに国境付近やジャングルは地雷が完全撤去されていません。

ほとんどまともな食事も与えられない強要労働で衰えた体力で、

地雷やクメールルージュのゲリラ戦を避けて国境まで逃げ延びるのは
どれほど大変だったのか、、、



S21トゥールスレン

こちらも、たくさんの語に対応したオーディオが無料で借りられます。



もともとは、平和な高校の校舎だった建物。

ここが、自白を強要する拷問施設として使われていました。


室内には、かなり生々しい写真もたくさんあります。

医師や弁護士、教師など知的な職業だという理由から。

最後の方には、

「眼鏡をかけている」
「柔らかな手をしている」

ただ、それだけの理由から、ここに連れてこられた人々。

聞いたこともないCIAの名前を

「知り合いだ」

と自白させられた人々は
キリングフィールドに送られ殺されます。

オーストラリアなどの外国人ジャーナリストも含まれていました。

「このような人権を無視した残酷なことが行われた理由は、

衣服を剥ぎ取る係

身長などを計測する係

名前を剥奪して番号をつける係

自白を記述する係

拷問を行う係

拷問後の自白を取る係

と、役割が細分化され、

『自分たちは与えられた役割を果たしているだけ』

と感覚を麻痺する仕組みがあったからです」

拷問にかけられた人たちは、『即席の医師』によって治療されたそうですが

塩の塗り薬や、塩水の点滴などだったそう。

本物の医師は皆、殺されていたからです。



「緑の中を歩かないでください」

の立て札。

本来のカンボジアの人たちは、こういう優しさを持った人たちなのです。

欧米人のティーンエイジャーが団体できていて、
オーディオを聞きながら一生懸命メモをとっていました。


カンボジアの高校生も必ずここに来て学ぶと
オーディオで解説されていました。

が、自国の人間が、同じ国の人間に対して行ったことなのです。

しかも、自分の親や祖父母の世代の話です。

ポル・ポト政権下、クメールルージュによって、
人口の1/4の人々が殺されています。

想像を絶する数なのです。

高校生が背負うにはあまりに残酷で重い歴史だと感じました。



キリングフィールドも、S21も、

入場するときには、スタッフさんがオーディオを手渡し、親切に対応してくださいます。

でも、オーディオを返却するときには、
あまり目を合わそうとはされません。

「私たちに質問などはしないでください」

と、暗に示されているのかもしれません。

このあと、遅くなった昼食をとっているときに

彼が不機嫌な顔をしていたので、

「お店気に入らなかった?機嫌悪いね」

と聞いたら

「いや。狂った歴史は人を疲れさせるな」

と、呟いていました。

そう。

とても人を疲れさせるのです。

この記事を書いている今も、言いようのない重い疲労を感じます。

トゥクトゥク運転手さんが、

「あなたたちは子どもはいないのですか?
私は3人の子どもがいるのですよ」

と、話していたとき、

「They will have good future」

と、彼が答えていました。

「子どもたちには明るい未来があるよ」

私たちに言える精一杯の言葉であり、願いです。

「あなたたちは、本当に気の毒で悲惨な過去を持つのですね」

と同情の言葉を口にしても、

平和な時代しか知らない私たちには、やはり想像を絶する、
アンタッチャブルな傷痕だから。


ガラスの破片が少しずつでも、拾い集められていくことを願うばかりです。







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