メリル・ストリープ主演の映画『ジュリーとジュリア』を観て

料理研究家ジュリア・チャイルドを知った方も多いのではないでしょうか?

かくゆう私もその一人。

映画を観て面白いと思ったのはもちろんですが、

アンスティチュ・フランセの授業のために本を読んだり、Youtubeを観たりすればするほど

ジュリアのポジティブシンキングやはちゃめちゃの料理ショーの虜になっていきました。

彼女がテレビの料理ショー「フレンチシェフ」に登場していたのは、1963〜73年のことですが、

今もなお、Youtubeではたくさんの番組を見ることができます。その中には、彼女をパロディにしたものもあって

ジュリアが国民的アイドルであることがわかります。

 

 

 

ところで、この映画の原作になったジュリー・パウエルの『ジュリー&ジュリア』は実話です。

ジュリーは、演劇と文学創作を大学で学びながらも開発会社に勤めてさして面白くもない事務仕事を日々、淡々とこなす30歳の女性です。

そんな彼女が、ある日、「ジュリー&ジュリア」プロジェクトと題し、

1961年にジュリア・チャイルドが発刊した『MASTERING THE ART OF FRNCH COOLING』の524のレシピを1年間で作り、その様子をブログに起こすという挑戦を思いつきます。

当初は面白半分だった挑戦ですが、日が経つにつれて彼女の真剣度も増して、周りみんなも巻き込み、

ファンもつき、みんなが揃って彼女の挑戦を応援し始めます。

その様子は34歳で結婚して夫のために美味しいもモノを作りたいという欲求から料理に目覚め、40歳手前で初めて生涯情熱を注ぐ仕事に出会ったジュリア・チャイルドそのものだったのです。

 

もがき、喘ぎながらも夢に向かって進む姿は誰の心も打つものなのですね。そして、プロジェクトを終える時には、

彼女は有名人になり、何よりも自分に自信のある魅力的な女性へと成長を遂げたのです。

 

 

この授業をするにあたってジュリア・チャイルド同様、コルドンブルーを卒業した私の食の師匠である

上野万梨子さんにお話を聞きました。

上野先生は、73年にセゾンドノンノに掲載されたコルドンブルーの記事を見て留学を決めたそうですが、

その時代になってもジュリアの後を追ってパリに留学するアメリカ人はとても多かったそうです。

かつては世界中に植民地を持っていたフランス。また近隣の国との国際結婚も多いフランス。上野先生は、フランス料理を学べば同時にその周りの諸外国の文化も一緒に学べると思ったそうです。

 

フランス料理の基本中の基本であるオムレツは、ジュリア・チャイルドに言わせると「20秒でできる最高のおもてなし料理で、5人で15分かければ300人もの人をおもてなしすることができる」そう。

上野先生の著書『パリの幸せスープ〜私のフランス物語』から抜粋したページにもコルドンブルーで習った「オムレツ・セレスチーヌ」の逸話が書かれているので、掲載しますね。

 

また、ジュリアの大好物で亡くなる前日にもこれを食したというオニオン・グラタン・スープについても

ためになるコメントが書かれています。ふんふん、確かに輪切りのパンよりサイコロ状のパンの方が食べやすいですね。

次回は是非、このレシピで作ってみたいものです。

 

ジュリアが本の出版にこぎつけたのは、

誰もがフランス料理といったらこれ!と思う「ブフ・ブルギニオン」(ビーフの赤ワイン煮)のレシピが

あまりにも美味しかったから!

160度のオーブンで長時間煮込むのがこの料理の決め手ですが、

上野先生のレシピでは、短時間で美味しい煮込みが完成します。

ジュリア版、そして上野先生版を掲載しますので、フランスの味を楽しんでください。

 

ところで、アメリカ・スミソニアン美術館のジュリアのキッチンは、オンラインで訪れることができます。185センチの彼女が料理に没頭できるようにと彼女をこよなく愛した旦那様が作った愛に溢れたキッチン。

こちらも合わせてお楽しみくださいね。