コロナ禍は別として2002年より長きにわたって開催してきたプティ・セナクルの修学旅行。
今年は私自身がパリに引っ越しということで
お休みさせていただきました。
そして、来年2025年5月。フランスからヴェネチアに旅先を移して開催する予定です。
題して「暮らすようにヴェネチア」。指南役にマダム・ジジを迎え、私と二人で皆さんをガイドする予定です。
ミステリアスな魅力あふれるヴェネチア。私自身、大好きな場所なのですが、では、なぜヴェネチアなのか?
その辺りをちょっと書いていきたいと思っています。
まず、第一にロワール地方のマダム・ジュヌヴライ侯爵夫人として、プティ・セナクルの修学旅行で皆さんに貴族のプロトコールを指南してくれたお馴染みのマダム・ジジ。旦那様のパトリック亡き後は、レジデンス・ペインター(公共の公園やプライベートハウスの庭にアトリエを構えて刻々と移り変わる風景や植物を描く)として、アメリカとヨーロッパを行き来しながら作品を制作しています。
そのマダム・ジジがここ最近、頻繁にヴェネチアを訪れ、
ヴェニスの穴場を知り尽くし、魅力溢れるこの街の魅力をプティ・セナクルの生徒さんに紹介したいと申し出てくれました。
今回の旅では、アーティストでもあるマダム・ジジの解説でアカデミア・ミュージアムや
素晴らしいフレスコ画を鑑賞できる修道院などを訪れます。
ヴェネチア派はもちろん、ヴェネチアは、ビエンナーレというコンテンポラリーアートのフェアが2年に一度開催される土地としても知られています。また、安藤忠雄とピノー財団がタグを組み、建築的にも見応えあるアートスペースもあります。
大運河からは一際目を引く建物を眺めることができます。
もうひとつ。
ヴェネチアは、フランソワ1世が、そして、ルイ14世といったフランスの王様が憧れた手工芸、そしてファッションの街でもあります。
俗にはミイラを作る際に使われたエジプト時代の防腐剤ミルカが最初の香料とされていますが、
それを香水に仕立てたのは他でもないヴェネチア人です。
現在でも、素晴らしい手作りのムラノガラスのボトルに入ったヴェネチア製の香水「マルシャン・ド・ヴェニス」は彼の地のお土産として親しまれています。
また、かつて貨幣価値まであったとされるムラノグラスの蜻蛉玉や、そこから発達した鏡もまた
王侯貴族の垂涎の工芸品でした。
ルイ14世がサンゴバン工房に鏡を作らせ「さあどうだー!」とそれを披露したヴェルサイユ宮殿の鏡の間ができてからも、
鏡は貴族でさえ、そうそう購入できるものではなかったのです。
18世紀になってやっと窓が大きくなって明るくなって鏡が安くなるまで、
人々がマナーやコードに従って身繕いしたのは、
自分自身を客観的に見ることのできる鏡がなかったから。だからこそ、規則に従った服装をしてアクセサリーを持って
「あらあの人、なんだか変ね」と陰口を叩かれないようにしたのですね。
そして、男性も愛したフリフリのレース。パリッと白いレースがその人が置かれている社会的地位や権力を示しました。
のちにフランドル地方で織られるようになったリネン・ダマスクも元はと言えばヴェネチアの商人がベルベット・ダマスクを
持ち込んで売っていたのが最初です。シルクよりも麻が一般的だったフランドル地方ではそのテクニックを真似てリネン・ダマスクを降り始めました。
ヴェルヴェット・ダマスクは17世紀を通して室内の壁に張られたり、椅子張りにされたりする憧れの生地だったのです。
20世紀になってもその人気は変わらず、
このヴェルベット・ダマスクを衣装にして、ティーガウンを作ったのが他でもないデザイナーのフォルチュニーです。
イッセイミヤケの元になったプリーツでも有名なこのデザイナーのガウン「ティーガウン」を午後のお茶会用に求めにヴェネチアを訪れる
上流階級は後を経ちませんでした。
また、ハイヒールだって元々は雨が降ると水浸しのサンマルコ広場を濡れないように履いたヴェネチアの女性たちが始めたものですからね。
現在でも、毎年9月にはヴェネチアでファッション・ウイークが開催され、こうした手仕事の妙を生かした唯一無二のファッションが紹介されているそうです。
今回は、マダム・ジジにはアートを。
そして、私は、NHKプレミアのテレビ番組「お宝を掘り当てろ!イタリアアンティーク鑑定旅」で女優の柴田理恵さんと相楽樹さんをお連れした
アンティーク・マーケットや
番組でも紹介されたヴェネチアン・グラスのミュージアム、そして、フィリップ・スタルクとコラボしてアーティスティックなガラス工芸品を生み出すアーティストのアトリエに皆さんを誘います。
柴田さんや相楽さんのように、素晴らしいお宝をご一緒に見つけましょう!
<撮影の様子はこちらでね>
マダム・ジジと私のガイドで、
アートと工芸が溢れるヴェネチア。行かない手はありませんよせんよね?(笑)