昔から、「フランスはレディー・ファーストの国というけれど、実はマッチョな国だなあ」と思っていました。

今回の滞在では、その理由がはっきりしました。

 

それを教えてくれたのは、最近、友人になった年若いフランス人女性。

男尊女卑のナポレオンのおかげで、女性は子供と同じで、常に保護者が必要になったこと。

同様に、男性が不義を働いても、女性から離婚を切り出すことはできなかった。

そして、その悪しき習慣は1945年に初めて参政権を手にするまで続いたことは知っていましたが。

まさかのまさか。

「フランスで女性が銀行口座を作れるようになったのは1965年こと。

それまでは、女性が働いても、彼女のお給料は旦那さんの口座に振り込まれ、法律で離婚は認められいても、離婚すると『男性は家を手に入れ、女性は空のヨーグルトパックを手にする』」と言われるくらい、

女性は割に合わない待遇があった」と知りました。

 

フランスでは結婚する際に、互いの財産をきっちり別ける習慣があって、離婚する時だってテレビ一台でもあらかじめ決められた所有者が持ち去るのは知っていましたが、

その歴史は案外短いものだったのです。

(というより、女性不遇の歴史が長かったせいで、こうしたきっちりした法律が敷かれたのでしょう)

 

常日頃からフランス女性は職業婦人で互いの財布は別々ですが、共通の財布を用いて

家や車のような大きな買い物を決断する時は大体男性が決定権を持っています。

これは、昔からの習慣がそうさせていたのだということを初めて知りました。

 

そんな歴史を改めて理解するのに良い機会になったのが、帰国便のエール・フランス航空の

機内で見た映画『シモーヌ・フランスに最も愛された政治家』です。

この映画は、女性の生涯を描いたら右に並ぶ者がいない、オリヴィエ・ダアン監督の最新作で、

フランスの女性政治家でホロコースト生存者であり、

フェミニストのアイコンであるシモーヌ・ヴェイユの生涯を描いています。

そして、この映画は、2022年、フランスで最も興行収入を得た映画なのです。

 

フランス語のタイトルは『SIMONE』だったので、実は、シモーヌ・ボーヴォワールかと思って見始めたのです。

ところがサルトルは出てこないし、どうも、こちらのシモーヌは政治家らしい。

映画が進むうちに、こちらのシモーヌは、2017年に89歳で亡くなり、パンテオンに葬られている

近代フランスにおいてかなりの偉業を成し遂げた政治家シモーヌ・ヴェイユであるということが解ってきました。

 

ざっとしたあらすじはこう。

1927年生まれでシモーヌ・アニー・ジャコブとして裕福で知的なユダヤ人家庭に育ったシモーヌは、

建築家の父と母、兄弟とともに、ニーズで穏やかな暮らしを送っていました。

ところが、第二次世界大戦が勃発し、人生は一変します。

16歳で母と姉と一緒にアウシュビッツに収容され、その過酷な待遇になんとか耐えた後に、

1945年に姉マドレーヌと生還。

その後、パリ大学院で法律を勉強し、そこで出会ったアントワーヌ・ヴェイユ(後に税務監察官)と結婚して三人の息子の母親の傍、

司法官として責務に従事します。

家族と一緒にいる時間がない彼女を夫が避難すると

「私は、綺麗な格好をして夫の帰りを待つブルジョワの妻にはなりたくないの」と激しく反発。

そんな彼女に夫も息子たちも寛容に接します。(彼女も素晴らしいけど、家族が流石です)

 

シラク内閣及び、バール内閣の時代に、欧州議会議長、憲法評議会議員を歴任し、囚人にも人権があること

を主張して政務所の待遇を改善したり、人工妊娠中絶法(ヴェイユ法)を認める法律を作りました。

また、欧州議会議長として欧州統合の推進役を担い、1981年に欧州統合の理念にともなう功績を挙げた人物に与えられるカール大帝賞を受賞しました。

同様に、彼女はアカデミー・フランセーズの会員で、レジョン・ドヌール勲章叙勲者でもあります。

 

 

彼女は、「戦争とは、結局政権を握っている支配者が他国の労働者を使って自国の労働者を殺させることと変わりません」と言いました。

なんだか深い言葉ですよねえ。

戦争で傷つくのは労働者であって支配者ではない。どこかの国の大統領がまさしくそうですね。

 

また、「人間は生まれながらにして自由であり、かつ平等である」「私は女性であり、それが私の力です」と説いた彼女は、

いつだって弱者の側に居続け、街を歩けば女性たちが駆け寄り「あなたのおかげで幸せになった」と声かけたそうです。

一方で、国会ではマッチョな男性議員から「ユダヤ人」だと差別され、中絶法は「女性が子供を産まなくなる手助けをする」と下げずまれ、非難轟々。

そんなシモーヌは「『純粋』とは、『汚れ』をじっと見つめる力」と言ったそうです。

彼女に匹敵する度胸も強さもないけど、

どこかでこのような女性にあやかりたいと思って、私はこの映画を見入りました。

 

今、日本でも上映中の映画。本もいろいろあるので、

こんな今だからこそ、シモーヌ・ヴェイユの声に耳傾けてみるのも良いのではと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

3つ目の映画のお話は、今年のカンヌ映画祭のオープニングを飾った映画「JEANNE  DU BARRY 」です。

女優で在り、監督で脚本家であるマイウェン自身が主演を務める映画で、上映前にネットフリックスで話題になったことでも知られているそう。

 

ジャンヌは、料理女を務める母と一緒に、上流階級の家庭の召使として住み込みで務める。

その主人に可愛がられて、教養も身につけるが、

物心つく頃になると、その「少女と女性の間の危うい魅力」故に女主人に疎まれ、いとまが出され、

修道院の寄宿舎に入れられてしまう。

 

しかし、そこでも彼女の「あだっぽさ」が原因で退去を命じられることになる。

住むところ、生活のすべを失って途方に暮れているところに、

貴族のデュバリー伯爵に拾われ、

そこの集う上流階級の男性たちを楽しませる役目を果たす「遊び女」として囲われるのだ。

 

彼女は子供の頃から身につけている「教養」と「セックスアピール」を駆使し、殿方を「seduction(魅惑する)」して、社会的地位を手に入れていこうと決意する。

 

そんな時に、リシュリュー公の口利きで、ジョニー・デップ扮するルイ15世の宮廷に出入りすることが許されるのだ。往年のスターだったジョニー・デップの中年太りはきになるもの

魅力的だがパッとしないマイウェンが王様に見初められることによって

輝いていく様はとても面白い。

 

幼いマリー・アントワネットや心の根の優しいルイ16世もなかなかのもので、

きっとこんな風に子供っぽい二人だったのだろうなと想像に値するもの。

 

それから、ルイ15世の側近で、デュバリー夫人が宮廷で居心地よく生きるために教育係となる

ラ・ボルド役のベンジャミン・ラヴェルヌがとても良い。

他の人たちが彼女に対して意地悪であればあるほど、この彼の優しさが生きるのだ。

 

デュバリー夫人は、貧しい家庭に生まれたものの、実は優しい性格で宮廷に入って初めて人並みの生活のあり方を知った女性。貧しさゆえに「女性性」を駆使しなくてはならなかったが、

ポンパドゥール夫人のように王に代わって政治的手腕を握るわけでもなく、

ドレスだ、宝石だ、陶磁器だ、城だ、と贅沢三昧を楽しんだわけでもなく、

人生における全ての「普通の生活」をことをありがたく感謝して暮らしていたのだそう。

 

映画「ジャンヌ・デュ・バリー」では、そんなデュバリー夫人の素顔が描かれているように思える。

 

今、ブックショップではこの映画の原作になった「デュバリー夫人」の本がヒットしている。

誕生日祝いに友人から頂いたので、ゆっくりこちらも楽しいたいと思います。

 

#デュバリー夫人#ルイ15世#愛妾#ヴェルサイユ宮殿#遊び女#高級娼婦#ジョニーデップ#マイウェン#カンヌ映画祭#アールドヴィーヴル#18世紀#ロココ

 

 

 

 

今回、観た中に、恐怖と当事者の過酷な状況を想い、泣きながら見て、最後には幸せな気持ちになった映画があります。

#同時多発テロ#シャルリーエブド#ブノワマジメル#ヴィルジニーエフィラ#恐怖#希望#再生

#バタクラン劇場#サンデニ#セザール賞

#サッカー場

 

 

それが、ヴィルジニー・エフィラとブノワ・マジメル主演の映画「REVOIR PARIS」です。

ヴィルジニー・エフィラはこの映画でセザール賞主演女優賞を受賞しました。

 

2015年11月13日、パリだけでなく世界を戦慄の渦に巻き込んだパリ11区、バタクラン劇場のテロ。

同じくシャルリー・エブド新聞社もパリの我が家から5分足らずなのですが・・・・。

11月13日の夜のテロは、パリと郊外の3カ所で同時に射撃と爆発が発生するというさらに過激なものでした。

 

この無差別殺人によって亡くなったのは120人以上。

ビストロで友人の誕生日を楽しく祝っていたグループ、日独戦に沸いていたサッカーファン、そして、ロックに酔ってた若者たち。。。不幸にも命を落とした被害者だけでなく、幸いにも一命を取り留めたとしても、その場に身を置いていた彼らだけでなく、彼らの家族や友人の人生は、この一瞬の事件によって大きく変わったと思います。サッカー場にはドイツのシュタインマイヤー外相と一緒にサッカー観戦していたオランド大統領もいて、この爆発音は何者かの自爆だったことがわかっています。

 

このテロを題材に作られた映画が「REVOIR PARIS(パリでの再会)」です。

ヴィルジニー演じるミアは、ディナー中に同棲相手が仕事に出かけてしまったため(実はこの理由も曖昧。彼は別の愛人がいたのかもしれない)一人、バイクで帰宅することになります。ところが大雨が降り、いつもは足を止めない界隈のブラッスリーで雨宿りを兼ねて時間つぶしをすることになるのです。

彼女の向こうには、仲間から誕生日を祝ってもらっているブノワ・マジメル演じるトーマスがいました。

 

ブラッスリーのざわめき。人々の笑い声。皿やカトラリーのぶつかる音。。。。

そこにテロリストたちが突然やってきて無差別に人々を撃ち殺していきます。

倒れる人々。逃げる人々。血に染まる店内。悲鳴。嗚咽。

 

あまりの恐怖にその時の記憶を失ってしまったミアは、

その後、事件当日の苦しみから抜け出すことができず、心配する

パートナーとも友人たちとも意思を疎通させることができません。

 

そして、心的外傷後症候群を受けている被害者の家族たちとボランティアたちが集う会に参加して、彼らと苦しみを共有し、

会話し、事件当日の記憶を呼び戻すことによって

傷を癒そうと試します。

そんな時に再会したのが、事件当日、向こうのテーブルに居たトーマスなのです。

 

自身の人生を再生させるために、

彼女は、事件当日、彼女を助けてくれた「誰か」を探していきます。

その「捜索」は、

次第に彼女の癒しにつながっていきます。

最後に、彼女を助けたのは皿洗いの日雇い労働者として雇われていた労働許可書のない黒人だったということが解ります。

それと同時に、トーマスと傷を舐め合いながら、彼との距離が少しずつ距離が縮まっていくのです。

 

 

この映画には、いつ何時、こうした事件に巻き込まれてしまうかもしれない、現代人の誰にでも起きる恐怖。それと同時に、良くも悪くも、大きくて小さい、人生に起きるさまざまな偶然が描かれています。

一方で、パリという街が抱える人種差別、格差社会の現状が見え隠れしている、

実に奥の深い映画なのです。

 

最後に、ミアとトーマスは結ばれます。

こうした出来事の傷を舐め合えるのはやはり、同じ傷を負った人だけなのかしら?

 

同時多発テロの恐怖は、今やパリだけが持っているものではありません。

ウクライナの人たちだって、明日、戦争が起きるなんて思いもしなかったでしょう。

人生に何が起きても、傷を回復させ、再び前向きに生き始める。

人間が持つ強さと逞しさに改めて感心させられる素晴らしい映画でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30年ぶりに、「暮らすようにパリ」の夏を満喫して、東京に帰国しました。

 

父の一周忌と母の13回忌、そして東京の新盆を終えて、パリに旅立って1ヶ月半以上。

こう見えても、一家の主人なので行く前はなんだか忙しく、

予定便の機内に腰掛けてやっとホッとしました。

実は、あちらにいってもなかなかエンジンがかからず、焦らず自分の意思に従っていたら

ゆったりのんびりが日常になってしまいました。

 

今は、渡欧も「楽しまなくちゃ」という気合が必要です。

戦争の影響で機内で過ごし時間も12>15時間に伸び、

映画を3本見て、少し眠るとパリに到着。

「コロナ禍の帰国後のホテル隔離がなくなっただけでもいいよね〜」と思いながら

機内の自由時間を過ごしています。

 

そんな中、エールフランス航空は、新しい映画が盛りだくさんで楽しい。

6月も渡仏したから、ニューフェイスがないかなと思いきや、

意外にも見飛ばしていたいい映画がいくつもあったのでご報告したいと思います。

 

 

#スイーツ#お菓子#パティスリー#パティシエ#MOF#差別者#移民#希望#野心#世界チャンピョン

といったキーワードに心ときめく方がいたら是非、見て欲しいのがこの映画『A LA BELLE ETOILE(SUGER AND STARS)』です。

 

 

北モロッコの移民の子供として育ったYAZID は、母親からネグレストを受けていた少年。

母親は、「お金がないから彼を育てることができない」と地域の社会保障課を訪れては、救援金を得て、それを友人とのパーティの飲み代に費やし、彼には食事も与えないという過酷な環境で育った不幸な少年でした。

そんな彼は、スーパーで食料品を盗んではなんとか空きっ腹を癒していました。

それと同時に、彼が幸せに満たされたのは、見よう見まねで作ってみたお菓子の香りです。

 

バター、小麦粉、卵に砂糖...。上着のポケットやズボンのポッケに無理やり詰め込んで家のキッチンで見よう見まねで作ったお菓子。イメージ通り、夢見たように成功はしなかったけど、バターやチョコレートの美味しい香りは彼の荒んだ心を大いに癒してくれたのだと言います。

 

彼の置かれた状況を見かねて、

社会保障課が斡旋してくれたホストファミリーたちは、

彼にとっての実の親以上の存在。

無償の愛を与え、何があっても彼を「真じる親」がわりである彼らが

彼が人生を踏み外さない、

ギリギリの生活を手助けしました。

 

また、彼の希望の星になった「パティスリー」にとっては、チョコレート職人だったその家の息子が本格的な菓子の作り方を教えてくれたことが役立ちました。

 

「菓子作り」は、いつしか母から愛情を得ることができない家庭に育つ彼にとって、「希望の星」となっていきました。

 

少年時代をエピファニーの養護施設で育った彼は、いつしかMOF(フランス最優秀職人)のフィリップ・コンチーニに憧れ、菓子職人の世界チャンピョンを目指すようになります。

そして、往復6時間の道のりをものともせず、MOFのレストランで修行するようになるのです。

当初は、毎朝始発に乗っても遅れて到着する彼を許せなかったシェフですが、彼の実力を評価して多めに見るようになるのです。

そして、シェフの口利きでモナコの海岸倉庫に滞在しながら、そのホテルのパティシエ副料理長として働くようになります。

 

しかし、順風満帆と思われるキャリアもそこまで。

上司との確執で彼は解雇されてしまいます。

 

でも、野心と希望に満ちた彼は、そこで諦めるわけにはいかないのです。

数少ない人脈を駆使して

MOFのコンクール候補チームに入団可能になった彼は、

最後の最後で予定の創作を大いに覆して

自らの意思に従った冷たいデザートを製作しました。

 

結果的にはこれが大いに評価され、

2014年フランスMOFチームは、世界お菓子部門のチャンピョンに選ばれたのです。

 

そうした彼の半生を描いたのがこの希望に満ちた映画なのです。

 

現在、フランスの民間テレビ「M6」の『トップ・パティティシエ』や「フランス2」の『誰が次のパティシエなのか?」に登場して今尚、有名パティシエの名前を誇るイアジット・イシムラバン。

 

「どんな状況にあっても、情熱は全てを覆す強い力がある」ということを

物語る気持ちの良い映画でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その昔、乗馬は上流階級の淑女の嗜みでもあり、

最も好まれたスポーツでした。

 

70歳過ぎてもその美貌は衰えることを知らず、

25歳も年下のアンリ2世を魅了してカトリーヌ・ド・メディチの嫉妬を買った

デュアヌ・ド・ポアチエは、朝の5時から水泳や乗馬で

鍛えあげ、死ぬまでメリハリのあるボディラインを保ち続けたそうです。

 

子供ができなくなるのを心配し、母、マリア・テレジアからきつく乗馬を禁止されるまで、

王太子妃マリー・アントワネットさえ、男性と見間違えるような

ぴったりしたスパッツ姿で颯爽と馬を走らせ、王太子ルイ顔負けに

シャサクール(犬を伴い馬上の騎士が野生の獲物を追う狩猟)を満喫したものです。

 

そう、いつの時代も乗馬は淑女の嗜みであり、馬は最も身近な愛玩動物だったのです。

 

かの有名なシャネルだって、もし、最初に競馬馬の飼育を生業とし、ポロ・プレーヤーとしても有名だったエチエンヌ・バルサンと出会っていなかったら?彼女が彼の暮らすシャトー・ド・ロワイリューに押しかけ女房し、彼のジョッパーズを履いて馬に乗ることもなかったし、その奇抜なアイデアを面白がるお金持ちのたちから注目を集めることはなかったでしょう。

彼女がその後、やはりポロの名手であるボーイ・カペルから愛されることになったのも、

また、イギリス王室のウエストミンスター公ヒュー・グローブナーから一目置かれたのだって、彼女が乗馬を嗜んでいたからに他ありません。

 

ベル・エポック当時まで(もしかしたら今でも?)お金持ちの紳士と出会うには、

乗馬は不可欠だったのかもしれません。

 

現在、パリの衣装美術館ガリエラ宮殿では、2024年のオリンピックに先駆けて「スポーツとファッション」の展覧会を開催しています。

 

なかでも印象深かったのが、モスコバ王子で「勇者の中の勇者」と讃えられたフランス元帥、ミッシェル・ネイ・デルヒンゲン公のひ孫で、のちにナポレオン・ボナパルトの右腕だったミュラ元帥の孫と結婚したセシル・ネイ・デルヒンゲンの乗馬用ユニフォームやアクセサリーでした。女だてらに2つもの狩猟チーム「ラリー」に入団していて、馬と乗馬を熱愛していたセシルさん。

前から見るとスカート、後ろから見るとパンツという「アマゾネスルック」の発案者としても知られているそうです。

彼女がもっぱら愛したのは、競馬で有名なシャンティーの森を駈けることで、

ブルーと赤の「シャンベリー」団のコスチュームを身につけ、

男性の狩猟家たちが愛した帽子ブランド「モッチ」社(のちにエルメス社の傘下になる)やサン=トノレ通りにあった「ヒーケル」社のトリコルヌ(三角帽子)やカンカン帽、シルクハットが愛用品だったのだとか。

 

かなり酷い近眼でもあった彼女の帽子には、片目眼鏡が忍ばされていました。

かつては目が悪いことは身障者と見なされたので、女性は眼鏡をかけることを嫌ったそうですが

獲物を的確に討ち取りたいと願ったセシルさんは、帽子の陰に隠すように片目眼鏡をセットして狩猟に臨んだそうです。

 

女性とはいえ、狩猟と乗馬に情熱を傾けた「アマゾネス(女性狩猟者をこう呼びます)・セシル」ならではのエピソードですね。

 

PARIS GALLIERA,La Mode Mouvement ~2025年9月7日まで

10ave Pierre 1er de Sebie75116 Paris

電話01-56-52-86-00