恋に破れ、王の寵愛を剥奪された悲しみのロジェさんのお城を後にした後は、

素晴らしいブルゴーニュの自然を満喫しながらピクニックを楽しみました。

ピクニックでも、ちゃんとワインもあるのがフランス式。

マスクを外して、鳥のさえずりとみなさんのおしゃべりが心地よい。

本当に良い思い出になったピクニックランチでした。

絶好のスポットを見つけてくれてランチボックスを用意してくれた

ランドリィご夫妻に感謝です。

 

午後は、8月22日まで「ア・ラ・モード〜18世紀の表現芸術」展が開催されているディジョンのボザール美術館に行きました。

ヴァトーの描いた18世紀初頭のファッションからマリーアントワネットも愛した自然派志向まで、

18世紀のモードの変遷とそこで、当時のおしゃれさんたちが身につけたドレスやアクセサリーが一堂に展示されている

非常に珍しい機会の展覧会でした。

式典ドレスアラフランセーズには欠かせないストマッカー

また、デコルテの首元に飾られたモデスティーピースと呼ばれるリボンなど、

絵だけでは見ていたけど、実際は「へえ、こうなっていたんだ」というアクセサリーが多くて

勉強になりました。

 

また、大好きなインド更紗のドレスもありました。

インドのコットンは暖かいし、軽くて洗濯も楽で、私も着ていてとっても心地が良いのですが、

重いリヨンの絹のドレスを脱ぎ捨てた、マダム・ド・ポンパドゥールがハマったのもよくわかります。

彼女は体も弱かったから、少しでもライフスタイルを快適に過ごしたかったのだと思います。だから、コットンプリント禁止令が出た後でも、侯爵夫人であるという特権を駆使して、インド更紗や南仏のフランス更紗を手に入れて着続けたのでしょうね。

なんとなく理解できます。

 

この秋は、ここで観たことをみなさんにぜひお伝えしたいと思います。

楽しみにしていてくださいね。

 

 

 

 

 

修学旅行も終盤に差し掛かった5日目は、1600年後半、恋人から裏切られてルイ14世の宮廷を追われた才気あふれる陸軍兵士ロジェ・ド・ビュッシー・ラビュタンの城に行きました。

ここではプライベートガイドをつけたので、彼女の丁寧な解説のもと、その当時のエスプリにあふれた宮廷愛や言葉遊びを堪能しました。

 

ルイ14世時代の所管作家であり、宮廷でもその名を轟かせたマダム・セヴィネのいとこでもある彼。

シャンティー城の大コンデが王を招いた食宴にも招かれて、

宮廷料理人ヴァテルについて綴ったことでも知られる、宮廷の人気者だった彼の誤算は、

愛人のモングラ侯爵夫人にひっそりと書き送った宮廷のゴシップ話が

彼女のおしゃべりな友人の手に渡って

模写され、一夜にして一冊の小冊子になって宮廷中に振りまかれたこと。

その話はルイ14世の逆鱗に触れて、権力を奪われ、

彼はヴェルサイユを追われてブルゴーニュの片田舎の城に移り住むことになった。

 

その城こそが、このビュッシー・ラビュタン城なのです。

 

片田舎といっても、宮廷で磨かれた彼のセンスがそこかしこに見れるのが素晴らしいです。

恋人への恨みつらみをエスプリ溢れる絵で表現し、その心の内を認めた戦う男の部屋の壁絵

「王が見つめれば、みんなが見つめる」

「私自身私身を引く」

「愛する男を海の底に沈める人形」

などなど、女々しいとは本当に男性のためにある言葉なんだな〜なんて感心できることしきりです。

 

それ以外にも、この部屋では自分と自分につらく当たってばかりいた先輩兵士の視線が決して交わらないように

肖像画の位置が計算されていたり、

彼の絵にはスポットが当たらないように部屋の最も暗いところに置かれていたりと

笑えることが多いのです。

 

マントノン夫人からセヴィネ夫人まで、九人の宮廷の美女の肖像画で埋め尽くされた部屋も

フランスで最も美しい黄金の間と呼ばれています。

そのあたり、さすがにギャラントリーな紳士だったのですね。

 

 

最後は王から許されヴェルサイユに戻れたと言いますが、

ここでの隠居生活はそれなりに充実したものだったのではないでしょうか?

バラで彩られた庭園には、

社会科の授業で集まってきた子供たちがいて、

のどかな時間が流れていました。

 

バロックの素晴らしいインテリアを見に、ぜひ、訪れていただきたい城の一つです。

 

 

7月22日に今年の修学旅行の報告会をすることにしました。

2部制で、第一部は教室での講座「パリが巴里だった頃〜エコール・ド・パリの画家が見た芸術とファッションの都パリ」

を多摩美術大学の西岡文彦先生と私でお話する予定です。

7月からパナソニック汐留美術館で開催される予定の展覧会「キース・ヴァン・ドンゲン~フォーヴィズムからレザンネフォル」を記念した講座で、その時代の画家が描いた美しい女性や男性たちのファッションやアクセサリーについても詳しくお話する予定です。

 

また、第二部ではブルゴーニュとパリで今回撮影した写真をみながら隠れざる観光スポットや

美味しいレストランやお土産の情報を皆さんで共有したいと思います。

 

ゲストには、エールフランス航空のファーストクラスの営業部にお勤めの柴崎雄一さんにお越しいただき、

世界の名士たちのエレガントな身のこなし、また、ファッションのプロトコールをお話いただく予定です。

 

どちらも定員12名。残席残り少ないのでご興味ある方は早めの申し込みをお願いします。

 

 

お話は、修学旅行4日目。

南ブルゴーニュ地方のシャニーにある三つ星レストラン「ラムロワーズ」でのランチです。

1921年創業のこのレストランは、時代の風を感じつつ、テロワールや気候に忠実に季節の美味しいものを食べさせてくれる店です。

また、シェフ、エリック・プラさんは、料理という手段を通して、世界中からレストランに集まるお客と地元の生産者、また、職人や畜産業に携わる人々を取り持つ役割を果たしているそうです。

 

当日のデギュステーションメニューは以下の通り

つきだしは

冷製フォアグラ エスカルゴ

1、うずらの卵の赤ワイン煮

2、フランスサーモンのミキュイ、白アスパラガス添え または 蟹とルージェのフォアグラクリーム添え

 

3、淡水魚のアーティチョーク添え または ランゴスティーヌ海老のマスタードとヴェルヴェーヌのサバイヨンソース

 

4、乳飲み仔牛の人参のビスケット添え または 鳩とエスカルゴとグリーンピース

5、レモンのムース または ガナッシュチョコレート

などなど。

 

それに合わせたワインのコンビネーションを楽しみました。

流石にその夜はもう、お腹がいっぱいで寝る人もいましたが、

オーナーのお心遣いで美味しいものがアペリティフに並んだ!

 

帰りに寄ったワインカーヴのデギュステーションも楽しかったし(良い季節には

週末ごとに大抵このような会がどこかしらで開催されているのだそうです)

ブルゴーニュの美味しいものは尽きることがありませんね。

ここで手に入れた手織りのタオルは美しく、今は教室のお手洗いで使用しています。

 

今度、経堂教室にお越しの際にはご覧くださいね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

修学旅行日記が遅々として進みませんが、ゆっくり書いていきますので飽きずにご覧くださいね。

 

今日は、4日目。

午前中はブルゴーニュ公国の重要人物とも言える、フィリップ・アルディが、最愛の妻、マルグリット・ド・フランドルのために購入したシャトー・ジェルモユを訪れました。この婚姻によって、ブルゴーニュ公国はフランドルまでを制覇する一大公国となったのです。

その繁栄は、息子のジャン・サン・プール(恐怖を知らないジャン!なんて勇敢な名前でしょう)に受け継がれ、彼とその妻のマルグリットもこの城に暮らしました。

 

現城主がとってもエンターテナーで、歴史をとても上手にお話聞かせてくれので、

たちまち14世紀にタイムスリップしたような気になってしまいます。

 

お話を聞くに、この時代、すでにブルゴーニュ公国がいかに優雅に繁栄していたかがわかることが多いです。

床材に使われていたタイルの素晴らしさ。

また、彼がこの城をプレゼントしてくれたお礼として、マルグリットは室内を修復する際に

二人の部屋に、フィリップのイニシャルを様々な装飾文字で飾りながら飾ったことなどからもわかります。

 

あざみの花は、アルザス・ロレーヌやスコットランドの紋章なのだと覚えていましたが、

それ以前に、トゲがあって触ると痛い=威厳があって簡単には近ずくことができないという意味があるのだそうです。

勉強になります。

 

また、マルグリットが私的教会を造った際に、

自分と司祭だけが入れる、舞台のような祈りのスペースを造ったことによって、そこに招待された人々が、

自動的に司祭と彼女、二人だけがいる、絵画のような世界観に特別感=畏敬の念を抱かせることができる。

そんな演出さえもできるマルグリットのセルフ・プロデュース能力も素晴らしいと思いました。

 

 

お話を聞くたびに、ますます大ファンになる城主に会いに、

また、次回のブルゴーニュ訪問の際には外せない城だと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、西岡先生との対談講座「恋とアートとアンティーク〜美女たちのアール・ド・ヴィーヴル」の第二弾、

画家マネとウージェニー皇后のお話をしました。

一般的に、ウージェニー皇后はマリー・アントワネットに憧れて18世紀の宮廷文化を再現したと言われますが、

それ以前に、この時代のパリ大改造だったり、ブルジョワ階級の台頭や万博によって海外から人々が訪れる、などなど、

革命から50年。再び、パリに脚光が当たってバブル時代が訪れたという背景があったからこその

経済の活性化がベースにあったのだと思います。

 

そんな時代、彼女の生まれ故郷スペイン文化にも脚光が浴びたのは当然ですよね。

 

ウージェニー皇后にとっては「黒」は敬虔なるカトリックの色でもあり、スペイン人にとってはとても親しみのある色なのです。そして、そして、彼女が宮廷マナーの必需品とした扇と傘も太陽が強くて暑い。

しかもカトリックの圧力が強くて男女がおおらかに愛を語り合えないスペイン宮廷においては、

知っていることがマナーであり、高貴な身分の証だった

扇作法が必要になりました。

意味がわからなくても、このyoutubeはご参考になるかも!!

 

 

 

また、今回のテーマになった画家マネは上昇志向の強い人で、

「人気のスペインの画家ベラスケス」風の絵をたくさん描きました。

 

マネが「黒服」の紳士を盛んに描いたのは、「才能ある画家は

黒服を上手に描けること」と詩人のボードレールに言われたからだそうです。

実際に、ルネサンス時代までは、「光沢のある」黒い衣装は身につけている人物はエリートとして描かれ、そうした人物を

(ちなみに黒い絵の具もとても高価だったそうです)描く肖像画家としてのお仕事もたくさんあったんだそうです。

19世紀になると、黒は化学染料で安定して染めることができるようになり、

こうした歴史をもとにエリートの制服として使われ始めました。

要するに「黒服=エリート=注文が多い=それを描ける画家になるべき」の方程式があったのでしょうね。

 

 

世紀末の「パリのデカダンス」の代表とも言えるボードレールとは、

マネが20代半ばの頃に

知人に『悪の華』の詩人として紹介され(マネの11歳上)

意気投合して、以降、マネは美術批評家としてのボードレールの主張を

自分の絵画の基本的な哲学として、彼を財政的にも援助したそうです。

 

以下、西岡先生のコメントです

〜ちなみに、「批評家」というのは19世紀の新職業で
新聞の部数競争は時評と連載小説の人気にかかっていたので、
売れない詩人や小説家は新聞雑誌の批評で食ってました。
新聞雑誌で小説や演劇や美術を褒めると
作家や画家から多額の裏金&チケット等がもらえたので
批評が利権化するという今日の仕組みは
この時のパリで出来あがっています。
怒り狂ったバルザックがその内幕を小説に書いてます(笑)〜。

 

ところで、今更ながらみなさん、『悪の華』ってご存知ですか?

小説家ユイスマンの『さかしま』を機に、

キリスト教的価値観に懐疑的な芸術至上主義である

その流れを汲んだボードレールの『悪の華』。

アヘンを吸って美的審美眼が鋭くなった

彼が、マレ地区の豪奢な邸宅で書いた詩の数々。

理解できるかは保証がありませんが、

ナポレオン3世時代のバブル経済の豪奢の行き着く先のあった「退廃」への憧れを垣間見れる作品です。

ぜひ、一度手にとってみてくださいね。

 

また、近代的「moderne」という言葉を世に知らしめたバルザックの『人間喜劇』。

19世紀はじめのパリの上流階級の「必需品」が全て

リスト化されているこの作品は、ぜひ、読んでためになる一冊です。

 

次回の対談講座は、

7月22日金曜日15:00~17:30

 

「パリが巴里だった頃~エコール・ド・パリの画家が見た、芸術とファッションの都パリ」

パナソニック汐留美術館で7月9日から開催される展覧会「キース・ヴァン・ドンゲン~フォーヴィズムからレザンネフォル」を記念して、ヴァン・ドンゲン、モディリアーニ、シャガール、ユトリロ、マリー・ローランサン,,,他、エコール・ド・パリの画家たちが、見て、歩いたパリの街を、散歩するように振り返ります。今見ても新しい、当時の女性のファッションやジュエリーについてもお話する予定です。

 

お申し込みはこちらまで!

http://www.antiqueeducation.com