昨日に引き続き、プティ・セナクルの来年の修学旅行のご紹介をいたします。

 

今回、マダム・ジジの紹介でプティ・セナクルの修学旅行で滞在するのは

ヴェネチアの大運河に面して建つPALAZZO CONTIARINI POLIGNAC(コンティリアー二・ポリニャック宮殿)です。

ヴェネチアの宮殿は、その時代のオーナーの名前が掲げられているので、

現在もポリニャック家の末裔の所有であるこの宮殿にはポリニャックの名前がついているわけ。

プティ・セナクルの生徒さんだったらポリニャックというお名前ですぐに「えっ!」ってわかりますよね。

そう、マリー・アントワネットの親友で、

王妃よりも前にギロチンの露に消えた、

あのポリニャック様の末裔11人が現在も管理しているのです。

 

宮殿の歴史は古く、ルネサンスの文化が花咲く15世紀まで遡ります。

いち早く、シンメトリーの色鮮やかな大理石の建築スタイルを取り入れたこの宮殿は、

他の宮殿の模範になったそうです。

当時、この宮殿の持ち主はヴェネチア共和国の指導者ドージュ・CONTARINI。

この土地にこの名前の宮殿が多いのは、CONTARINI家がたくさんの宮殿を所有していたからです。

 

時は経て、19世紀半ばにミシンを発明し大成功したアメリカ人のイザック・シンガーは、自由と音楽とアートを愛し、

パリにも頻繁に旅していました。

そしてその娘のウイナレッタもまた父の血を受け継ぎ、オルガンの名手であり、アートに造詣が深い女性でした。

18歳で父の遺産を受け継いだ彼女は、パリで作曲家であるポリニャック王子エドモンドと出会い結婚。

彼の誕生プレゼントに購入したのが、二人が愛したヴェネチアに建つ宮殿CONTIARINIだったのです。

 

歳の差29歳の二人でしたが共通の高尚な趣味を持つ二人の周りには、象徴主義のモンテスキュー男爵、ロシア・バレエのディアギレフ、音楽家のフォーレやストラヴィンスキー、そして小説家のプルーストなど、錚々たるメンバーが総揃い。友人たちは夏になるとこのCONTRIARINI宮殿に集い、共に語り即興で音楽を作ったりして奏で、歌い、戯れたのだと言います。

 

 

 

 

 

 

 

コロナ禍は別として2002年より長きにわたって開催してきたプティ・セナクルの修学旅行。

今年は私自身がパリに引っ越しということで

お休みさせていただきました。

 

そして、来年2025年5月。フランスからヴェネチアに旅先を移して開催する予定です。

題して「暮らすようにヴェネチア」。指南役にマダム・ジジを迎え、私と二人で皆さんをガイドする予定です。

 

ミステリアスな魅力あふれるヴェネチア。私自身、大好きな場所なのですが、では、なぜヴェネチアなのか?

その辺りをちょっと書いていきたいと思っています。

 

まず、第一にロワール地方のマダム・ジュヌヴライ侯爵夫人として、プティ・セナクルの修学旅行で皆さんに貴族のプロトコールを指南してくれたお馴染みのマダム・ジジ。旦那様のパトリック亡き後は、レジデンス・ペインター(公共の公園やプライベートハウスの庭にアトリエを構えて刻々と移り変わる風景や植物を描く)として、アメリカとヨーロッパを行き来しながら作品を制作しています。

 

そのマダム・ジジがここ最近、頻繁にヴェネチアを訪れ、

ヴェニスの穴場を知り尽くし、魅力溢れるこの街の魅力をプティ・セナクルの生徒さんに紹介したいと申し出てくれました。

 

今回の旅では、アーティストでもあるマダム・ジジの解説でアカデミア・ミュージアムや

素晴らしいフレスコ画を鑑賞できる修道院などを訪れます。

ヴェネチア派はもちろん、ヴェネチアは、ビエンナーレというコンテンポラリーアートのフェアが2年に一度開催される土地としても知られています。また、安藤忠雄とピノー財団がタグを組み、建築的にも見応えあるアートスペースもあります。

大運河からは一際目を引く建物を眺めることができます。

 

もうひとつ。

ヴェネチアは、フランソワ1世が、そして、ルイ14世といったフランスの王様が憧れた手工芸、そしてファッションの街でもあります。

俗にはミイラを作る際に使われたエジプト時代の防腐剤ミルカが最初の香料とされていますが、

それを香水に仕立てたのは他でもないヴェネチア人です。

現在でも、素晴らしい手作りのムラノガラスのボトルに入ったヴェネチア製の香水「マルシャン・ド・ヴェニス」は彼の地のお土産として親しまれています。

 

また、かつて貨幣価値まであったとされるムラノグラスの蜻蛉玉や、そこから発達した鏡もまた

王侯貴族の垂涎の工芸品でした。

 

ルイ14世がサンゴバン工房に鏡を作らせ「さあどうだー!」とそれを披露したヴェルサイユ宮殿の鏡の間ができてからも、

鏡は貴族でさえ、そうそう購入できるものではなかったのです。

 

18世紀になってやっと窓が大きくなって明るくなって鏡が安くなるまで、

人々がマナーやコードに従って身繕いしたのは、

自分自身を客観的に見ることのできる鏡がなかったから。だからこそ、規則に従った服装をしてアクセサリーを持って

「あらあの人、なんだか変ね」と陰口を叩かれないようにしたのですね。

 

そして、男性も愛したフリフリのレース。パリッと白いレースがその人が置かれている社会的地位や権力を示しました。

 

のちにフランドル地方で織られるようになったリネン・ダマスクも元はと言えばヴェネチアの商人がベルベット・ダマスクを

持ち込んで売っていたのが最初です。シルクよりも麻が一般的だったフランドル地方ではそのテクニックを真似てリネン・ダマスクを降り始めました。

ヴェルヴェット・ダマスクは17世紀を通して室内の壁に張られたり、椅子張りにされたりする憧れの生地だったのです。

20世紀になってもその人気は変わらず、

このヴェルベット・ダマスクを衣装にして、ティーガウンを作ったのが他でもないデザイナーのフォルチュニーです。

イッセイミヤケの元になったプリーツでも有名なこのデザイナーのガウン「ティーガウン」を午後のお茶会用に求めにヴェネチアを訪れる

上流階級は後を経ちませんでした。

 

また、ハイヒールだって元々は雨が降ると水浸しのサンマルコ広場を濡れないように履いたヴェネチアの女性たちが始めたものですからね。

 

現在でも、毎年9月にはヴェネチアでファッション・ウイークが開催され、こうした手仕事の妙を生かした唯一無二のファッションが紹介されているそうです。

 

今回は、マダム・ジジにはアートを。

そして、私は、NHKプレミアのテレビ番組「お宝を掘り当てろ!イタリアアンティーク鑑定旅」で女優の柴田理恵さんと相楽樹さんをお連れした

アンティーク・マーケットや

番組でも紹介されたヴェネチアン・グラスのミュージアム、そして、フィリップ・スタルクとコラボしてアーティスティックなガラス工芸品を生み出すアーティストのアトリエに皆さんを誘います。

柴田さんや相楽さんのように、素晴らしいお宝をご一緒に見つけましょう!

 

<撮影の様子はこちらでね>

 

 

 

マダム・ジジと私のガイドで、

アートと工芸が溢れるヴェネチア。行かない手はありませんよせんよね?(笑)

 

 

 

 

 

 

 

手仕事の匠の技が凝縮したシャネル傘下の手仕事のアトリエが工房を構えるギャラリー19Mは、パリ19区とオーヴェルヴィリエの境にあります。ちょっと遠くからも一目を引く建物は、マルセイユのMucum博物館を設計したルディ・リチオッティのもの。ビルの外観を糸が渡っているような様子は、シャネルをはじめクチュリエにとってはとても大切な「生地」を構成する糸をイメージしたものだということです。縦横に生地を織りなす糸はまた、人やものとの絆を感じさせるものです。

 

 そんな19Mでは、定期的に、それも無料で、会場を離れても何時間も何日間も、幸せな気持ちが残るそんな素敵な展覧会を開催しています。

 

歴史的な刺繍のアトリエ「メゾン・ルサージュ」とそのファミリーが挑戦を続けた家業の100年を振り返る回顧展もそんな展覧会のひとつです。

今回は100周年を記念して、メゾンのアートディレクターのユベール・バレールとアーティストのアリスティッド・バラーによって作られた作品「つぶやき」が紹介されました。

この作品は、2024年を通して、マルセーユ、パリ、ダカール、ヴェネチアと街から街へと移動しながらプロの指導によって、初めて針をとるに等しい大勢の一般刺繍家によって刺し続かれてきました。

出来上がった作品はまるでオーケストラを奏でるシンフォニーのよう!

 

1924年創業の「メゾン・ルサージュ」は、バイアスカットで有名なベルエポック時代のクチュリエ・マダム・ヴィオネで働いていた刺繍家のマリー・ルイーズ・ファヴォと有名な刺繍家アルベール・ミショネで修行中のアルベール・ルサージュが結婚することで誕生します。

 

時は第一次世界大戦を終えて、女性が働き自分でお金を稼いだ時代。「メゾン・ルサージュ」はそんな発展的な女性たちのファッションニーズに合わせて、刺繍やタッセルといった様々なドレスのための装飾品を作っていきました。

そして、第二次世界大戦後はいち早く戦勝国アメリカに拠点を移してハリウッドの映画衣装に貢献するのです。

 

18世紀は衣装とインテリアの境がない時代。王妃マリー・アントワネットはカーテンと同じ生地で衣装を作っていまそうです。(さぞ重かったでしょうね)。だからこそ、動きのない生地を目立たせる動きのあるタッセルが必要だったのです。

衣装とインテリアに境界線がない時代を経て、

衣装とインテリアが分かれ、そして、また今、合体する。

衣装で有名なメゾン・ルサージュは現在、インドにもアトリエを持ってインテリアのための刺繍の製作中です。

 

会場には、バレンシアガやサンローラン、そして、もちろんシャネルのアートディレクターだったカール・ラガフェルドのためにメゾン・ルサージュが作った芸術的刺繍作品が集められています。今亡き著名デザイナーの想像力の豊かさと匠の技の結晶は、感極まるほど美しい。

 

長年、ファインアートが最も優れた芸術であるとされていますが、

いやいや、私は装飾美術、手仕事の素晴らしさがそれと同じくらいの比重で

人の心を震わせる芸術だと思っています。

 

世界で最もラグジュアリーなものは、「手仕事」だと言われる時代。

 

今後のメゾン・ルサージュのよりアヴァンギャルドな活動が楽しみです。

 

Galerie 19 M 予約制

2 place Skanderberg 75019 Paris

~2025年1月5日まで

開館時間9:00~18:00(土曜日、日曜日11:00~)

閉館日、月曜日、火曜日

http://billeterie.le19m.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨の多いパリからです。

明日は、来仏中の友人を郊外にガイドする予定が、

あいにくの嵐のよう。早々に予定を変更して我が家にお招きする予定です。

そんなわけで、今、キッチンで鴨がオーブンに入っています。

上手にロゼに仕上がると良いのですが。。。。

 

先週の土曜日に、南仏・エクサンプロヴァンス(日本語表記だと、エクス・アン・プロヴァンスとされますが、発音ではエクサンプロヴァンスなのでそのようにしています)の邸宅美術館のお話をしました。

 

フランスで最も愛されている王様アンリ4世が

孫ほど歳の若い愛妾・ガブリエル・デステに産ませた子供の子供、つまり、孫にあたる

ヴァンドーム公ルイ。

彼は、マザランの政治戦略のコマとして大いに貢献した「美しきマンチーニ姉妹」通称マザリネットの長女ラウラと結婚しました。彼女たちは、マザランの姪にあたり、父親が亡くなったことでマザランの妹である母親についてイタリアからフランスに移住し、ルーヴル宮殿でルイ14世の幼馴染として育てられました。

 

次女のオランピアはルイに愛の手ほどきをしたことでも知られ、その後、ルイの愛妾であるルイーズ・ド・ヴァリエールを毒殺した罪で宮廷から追放されました。

その次のマリアはルイが本当に愛した初恋の女性。彼女と結婚したがるルイを諦めさせるためにマザランは彼女とナポリ王の婚約を図り、彼女は結婚するために渋々イタリアに戻されました。というわけで、ルイも仕方なく、スペイン女王マリー・テレーズと結婚したそうです。

 

ラウラは15歳でヴァンドーム公と結婚しますが、20歳で亡くなってしまいます。

 

その後、ヴァンドーム公は入信するのですが、実は愛する女性がいた。その女性との隠れ家だったのが、ヴァドーム・パヴィリオンなのです。

 

もう一つ、ショーモン邸もとっても素敵です。

ここには、最後のこの家に住んだポリーヌ・ショーモンの寝室が残っています。

ここにあるのが2つのベッドヘッドがある

「ポロネーズ風ベッド」です。

ロココの時代は、すべての宮廷人が恋愛妙技に長けた時代。アルコーブ(部屋の凹み)に置かれたベッドにカーテンを引けばそこは恋人たちの秘めやかな密室と化すわけ。

そんなわけで、長椅子、ベッドが勢揃いしたのもこの時代の特徴です。

ちなみに、ベッドヘッドが3つあるのがトルコ風ベッド、これらはトルコにあるとかポロネーズにあるとか関係なく、新しくエキゾティックな雰囲気を醸し出しているから名付けられた名前なので

深追いしないでね。

 

というわけで、邸宅美術館の授業も無事に終えました。

 

次は11月末のブルターニュのアントワネット・ポワソンのシャンブルドートのお話です。

11月との2回連続授業ですが、今回の授業はDVDでも受講できるので

ご興味ある方は11月のお申し込みとともにDVDを入手ください。

 

次回もまた楽しく学びましょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

明日、念願の滞在許可書を手元にいただけるようです。

 

8月初めにブルターニュから送った本のも2ヶ月近くしてやっと行方を突き止めたし。

キャンセルしたけど何故かアイロン台も届いたし。

やっと落ち着いてみなさまにZOOMでご挨拶できそうです。

 

そんなわけで、今週土曜日、10月5日 日本時間17時から「パリからの逃避行・南仏18世紀の美しき邸宅」のお話をします。

 

画家セザンヌの出身地でも知られるエクサン・プロヴァンスは大学都市で落ち着いた雰囲気の美しい街です。

この街は、ルイ14世の時代の宰相として知られるマザラン枢機卿の弟で、大司教だったミッシェル・マザランが17世紀に街を整備しました。

その一角には、1715年、船主でマルセイユの銀行家カバンヌ侯爵が建てた邸宅があり、現在は邸宅美術館として芸術を愛するビジターを迎え入れています。

 

建物は、ルイ14世の主任建築家マンサールの弟子ロベール・ド・コットによる設計で、マダム・デュバリーのルーヴシエンヌの邸宅などで知られるロココの建築家です。

 

現在、開催されているナビ派の画家ボナールの展覧会もさることながら、このお屋敷の素晴らしいことと言ったら!

 

また、マザランの銘で「美しきマンチーニ姉妹」として少年時代のルイ14世のを首ったけにした姉妹の長女、ラウラと結婚したヴァンドーム公も

エックスに素晴らしい邸宅を建てた一人として知られています。

ただし、このヴァンドーム・パビリオンは実はラウラのためではなく、彼のお忍びの恋の隠れ家として建てられたものなのだとか。

そんな小さくて宝石のような邸宅もこの街にはひっそりと存在しているのです。

 

この機会に、軽妙でおしゃれな恋愛妙技が繰り返されたロココ時代に

みなさまをお連れしたいと思っています。

 

この講座は、録画受講も可能です。

また、11月30日17時からのパリからの逃避行・ブルターニュ・アントワネット・ポワソンのシャンブルドートの講座に続きます。

久しぶりに皆さんにお目にかかれるのを楽しみにしていますね!

 

<お申込み>
講座名 石澤季里のZoom でこんにちは!パリから18世紀に逃避行
講師 石澤季里
日時 ①10/5 (土) 17時~18時
  ②11/30 (土) 17時~18時
会場 ズーム
受講料 6,000円(2回分)

 

 

プティ・セナクル

東京都世田谷区宮坂2-19-1

http://www.antiqueeducation.com/

cenacle.antique@gmail.com