2022年1月19日から開始した、アンスティチュ・フランセ東京冬季講座。今学期は「エピキュリアンの食卓」と題して、歴史の中のグルメたちの食卓を覗いてみる講座です。
第一回目は、ジェラール・ドパルデュの映画で一躍有名になった「宮廷料理人ヴァテル」のお話し。
まず最初に、映画の日本語タイトル「料理人」についてお話ししました。
ヴァテルは財務長官フーケやルイ14世の従兄弟にあたる大コンデ公爵のヴォー・ル・ヴィコント城やシャンティー城に在中の、その他にも、王の弟オルレアン公やマザランやコルベールに依頼されて
出張メートル・ドテル を務めたことはありますが、実は、一度も宮廷に仕えたことはなく、ましては本当の料理人になったことはありません。
そして、メートルド・テルは、今と昔では様子が違って、
現在で言うところの給仕長というよりは、むしろ、宴会プロデューサー。それも、
当時の宴会は数日間に渡って催されたので、その間の食事だけでなく、ざまざまなお楽しみ、いわばバロック・ミュージックが奏でられたり、野外舞台でコメディー・バレエが催されたり、花火やろうそくの灯りで夜空を彩ったり、池に船を浮かべてそこでくつろいだり、宴会に出席した人々が飽きないようにと様々な演出がされていました。
また、大切だったのが、50匹くらいの犬を伴い馬上の騎士たちが鹿や猪を追うといったシャサクールと呼ばれる狩猟でした。
獲物がどこにいるのかを事前に確かめておいて、東西南北のホルンの音楽を聞き分けられる犬に追わせる貴族の狩猟は
鳥肌が立つほど神々しい見事な芸術です。(シャンティー軟質磁器の刻印は、まさにこのホルンです)
その東西南北の中心にテントを張って、花綱や果物で飾り付け、
シルバーウエアや陶器の食器にふんだんに盛り付けた軽食ビュッフェでもてなすのが
当時の習わしだったのです。
そして、何千人もの貴族とそのお付きのものの宿泊所の管理、
彼らをもてなすために近隣の村から顎脚付きでエキストラを雇うこと、
その支出に関しても、全てがメートルドテルが握っていたのです。
要するに、メートルドテルを雇うオーナーは、「こんな風な宴会にしたい」と言う趣旨を
伝えるだけで、あとは全てメートルドテルの采配にかかったいたわけです。
ヴァテルは1671年の4月23日から25日に開催された大コンデのパーティのために12日間寝ずで用意をしたそうです。
なのに、最後は大コンデがゲームの賭けに負けてルイ14世のところにいわば身売りされたような形になった。
(これは歴史の記述にはないようですが。要するに当時の使用人はオーナーの意のままだったのは事実でした。)
そして、思わぬ出来事が重なり、思った通りのパーティを催すことができなかったのを苦にヴァテルは自殺したのです。
映画のなかには当時、テーブルセッティングの中で重要な役割を占めていた飴細工の話が出てきたり、
王の大好物でシャンティー城でも栽培されていたオレンジや王の弟オルレアン公が馬鹿げた遊びをしてヴァテルを困らせた
鯉の生簀なども出てきまてとても楽しめます。
それ以外に、興味があればこちらの映像もご覧ください。フランス語ですが、ヴァテルが働いたヴォーやシャンティーの城の様子がわかります。
2022年4月23日からは、歴史家と一緒にシャンティーのキッチンを巡るツアーも開催されるのだとか。
早く自由に旅行してこうしたツアーにも参加したいですね。
次回は、ブルターニュの星付きシェフ、オリビエ・ローランジェと海賊料理についてお話しします。