ゴールデンウイークに開催した授業のご質問にお答えします。
2回目のディバリー夫人の回に関してのご質問です。
①ジャンヌが何故15歳で家に戻ってきたのか。(ご説明が聞き取れなかったかも知れません)
>はっきりした理由はわからないそうです。
両親が学費を払うことができなくなったのか?
彼女が実家に戻ったのち、
道端で行商人をしなくてはならなくなったことを考えられると
家計費が緊迫していたのかもしれないですね。
②ルイ15世はデュバリー夫人を寵妃に迎えてからも他に愛人がいたのでしょうか。
デュバリー夫人を迎えた時は、王はすでに60歳を超えていました。
デュバリー夫人は孫のように可愛かったのでしょうね。
そして、彼女の不幸な人生を聞いて「妖精物語」の妖精のように
たくさんの贈り物で彼女を喜ばせたり驚かせることに生きがいを感じていたのだと思います。
歴史の中にはデュバリー夫人とダブっている愛人はいないようですが、ポンパドゥール夫人とはダブっている方がたくさんいます。
>64年にポンパドゥール夫人がなくなる前も、夫人とは肉体関係はない親友だったので
王のメランコリーを癒す様々な愛人がいました。
王様たちには2タイプの愛人がいて、相手が結婚している公式の愛人favorite(寵妃)と
独身の愛人(petit maitresse)。
わかっているところを書きます。
*1756年夏から’57年1月までマダム・トロワラン
*マダム・ド・サンジェルマン
*マドモアゼル・ド・ロマン(鹿の園の女性。他の女性同様、王様の口利き(持参金は王様払い)でメイリー・クーロンジュ男爵の、カバナック伯爵と結婚。 王様との間に、ルイ・アメ・ブルボンというルイ15世唯一の庶子がいる)
*マドモアゼル・ティーエルサン
*ルーシー・シトイエンヌ(王との間に認知されていたに子供あり)
*ミス・スミス(イギリス人)
*マダム・アムルヴァル
*コメディー・フランセーズの女優
*マダム・パテール(オランダ貴族の娘)
他にも、修学旅行でお世話になっていたマダム・ジジの旦那様
ド・ジュヌヴライ伯爵の祖父母マダム・ド・ポーピエール(ルネサンスの時代の貴族の話を読んでるとアートの擁護者であるこの貴族と妻の話が出てきます。二人ともリベルタンでした)はルイ15世の庶子を産んだそうです。
女優でもあったそうだからこのコメディーフランセーズの女優なのかどうかはわかりません。
④デュバリー夫人がマリー・アントワネットから当初挨拶を受けなかったのは事実ですか。
>本当のようです。でも、これには理由があります。
アントワネットもデュバリーも性格の良い人でした。
しかし、敬虔なカトリックの母に育てられ、音楽以外大した趣味もないルイ15世の独身の娘たちは
父親がしていることは気に入らなかった。それで、その腹いせにデュバリー夫人の悪口を
有る事無い事王妃に吹き込んだそうです。
また、ポンパドゥールの支持者だったショワズイユ公もそのようでした。
彼女の愛した白いシルクの衣装(白は王室の色です)、そしてカジュアルなゴール風ドレスや3本の紐で裾部分を持ち上げて歩きやすいようにできる散歩用のポーランド風ドレス、そして、ストライプや小花模様チンツ柄はデュバリー夫人が好んだものとして知られています。
こんなものを好きな時に好きなように着用できる寵妃を
マナーにのとった生活を強いられていたマリーアントワネットはうらやましかった部分もあるのでしょうね。
王妃だからこそできること、しかし、寵妃だからこそやっても咎められないこと。
ヴェルサイユに生きた女性たちは、
人生にはそれぞれの人生を強くしなやかにそして華やかに生きたのだと思います。