自他共に認める、僕は面倒くさい人間だ。
人から言われた言葉を素直に受け取れず、この言葉には何か裏があるんじゃないかと考えこんでしまったり、自己肯定感が低くネガティブな思考に支配されて、周りとコミュニケーションと上手く取れなくなってしまったりと。
つい先日も運転中に自転車で危ない運転をしていた外人さんとトラブルを起こし、外人さんが日本語、僕が英語で罵り合うという説明すら面倒くさい事件を起こしたり。
自分の面倒なところを言い出したらキリがない。
産まれもった気質なのか、幼少期からの成長の過程でこうなったのかわからないが、そんな事はどうでもいい。ただただ面倒な人間だ。
そんな事を公共のブログで発表してしまうレベルの面倒くささである。

『そんなにめんどくさいなら死ねば?』

昔、サラリーマン時代にこう言われた事がある。
あまりに乱暴な言葉で、コンプラ全盛の今ならば問題になりかねないくらいの発言だ。
当時、僕はアパレルで働いておりアウトレットにヘルプでいた時の話である。
皆様も一度は行った事があると思います、アウトレットには莫大な在庫量があります。
その莫大な在庫を管理しなければいけないのがスタッフの仕事であります。
そんな仕事の中で最も過酷で、無慈悲な日。
月イチでやってくるヤツ。そう、それは棚卸し。 
まぁ、それがめんどくさいこと。
数千、数万ある在庫を手分けしながら数えていく作業で、考えるだけで気が遠くなります。

その日も棚卸しに向け、準備を進めながらスタッフ同士で何気ない会話をしていました。
そんな中、僕がみんなの反応を伺いながら『棚卸しってめんどくさいねぇ』と冗談交じりで言った時、1人の女性スタッフの目の色が変わり『そんなめんどくさいなら死ねばいいじゃん』といきなり刃物のような言葉を突き付けてきたのです。
表情こそ笑いながら言ってはいたもの、目の奥は笑っておらず、続けて『やりたくてもやれない人がいるんだから…頑張ろうよ』と。
あとで聞いた話ですが、その女性スタッフの妹さんは障害を抱えており、満足に働く事が出来ない状態だという。
僕はこの言葉を言われた時に、乱暴な言葉だけどなんか納得せざるを得ない重さを感じました。

この時の仕事がめんどくさいという話と、僕が面倒な人間という話というのでは、言葉の意味は全然違う。
もし一緒であるならば、僕は何度となく死ななければならなくなってしまう。

違う意味なのに、めんどくさいという言葉を聞くと必ず僕はこの言葉を思い出します。

『めんどくさいなら死ねば?』

いや、まだ死ねない。
死ねない理由があるので今はやるしかない。
友人などにお前はほんと面倒くさいヤツだなーと言われても、まだまだ死ねないんですよ。
面倒な人間が毎週毎週何か限定作り、めんどくさいと感じる時もあるけど、来てくれるお客様がいて喜んでもらえたりもするし、可愛い可愛いスタッフ達もいるので、明日も、明後日は休みだけど、また来週もやり続けます。

毎週ただ限定の告知をするだけなのに、なぜこんな無駄な話をしてしまうのでしょうか。
やはり僕はめんどくさい男だ、いや漢だ。

『春野菜のポタージュsoba』

¥1,000 30食 大盛不可

お久しぶりの人気ポタージュシリーズ春の陣。
鶏白湯ベースに新玉ねぎ新じゃがいもを使い、ポタージュスープに仕上げ、トッピングには春キャベツやアスパラガスを使い、旬なモノで作り上げました。
仕上げはもちろんトリュフオイルで風味抜群です。チーズごはんの相性が抜群だったので、是非ともおススメさせて頂きます。

そんなこんなで明日も10:30頃にオープンさせて頂きます。宜しくお願いします。