前回のフランス山に続き、イギリス軍の駐屯したトワンテ山についてです。
1862年(文久2年)に起きた生麦事件を初めとする外国人殺傷事件をきっかけに、
自国民の保護と居留地の防衛の為、1963年にフランス軍、翌年イギリス軍が山手に軍隊を派遣。
大体↓のようにフランス地区、イギリス地区として陣営を張った。
トワンテ山の名前の由来は、初めに駐屯した英国第20(トゥエンティー)連隊がトワンテに訛ったことから。
その後、第67連隊分遣隊、砲兵隊、工兵隊、第29ボンベイインド人歩兵隊が来日し、1964年末には約900名の陸軍部隊、530名の海兵隊が駐屯した。(海兵隊は翌年150名の第11連隊と入れ代わる)
兵舎での洗濯や裁い仕事で雇われる日本人もいた。
日本人と外国人との喧嘩は絶えなかったが1875年に撤退する時には、外国人相手の商人や恩恵を受けていた人は別れを惜しんだ。
海兵隊と野営テント
海兵隊の士官兵舎 日本人らしき姿が見える
1975年の撤退式。 右側:港へ行進するイギリス軍 左側:見送るフランス軍
それでは。
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