ウソの歴史をただすとき ~抗日戦の主役は、中華民国軍~  | 日本と中国の真実に迫る!

日本と中国の真実に迫る!

ご訪問いただきありがとうございます!

「なぜマスメディアは中国やアジアの真実を報道しないのでしょうか?」、そういった日々の疑問をブログにしています!

自由にご拡散ください!

こんばんは。

いよいよ9月3日となりました。


中華人民共和国では、

勝利していない戦争での戦勝パレードが行われます。


今年、2月に

台湾の国防部が


『中国共産党に対し「抗日戦争」の主役は、

国民党が主導した「中華民国」軍だったという

歴史に向き合うべきだ』と呼び掛けました。


その時の様子です。




どういうことなのでしょうか?


もう一度、当時の支那大陸の状況を振り返ってみます。


まずは、



○中華民国成立から、世界大戦終わりまで


1912年1月1日に、革命家の孫文を

臨時大総統(臨時大統領)として、中国大陸を中心とする

中国を代表する国家として中華民国が成立した。



民国の国旗 


同年2月12日には、清朝の皇帝である

愛新覚羅溥儀が退位することによって、
その後袁世凱が大総統(大統領)に就任。

その後、袁世凱と対立した孫文は1919年に中国国民党を創建し、
1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州に樹立。


孫文の後継者には蒋介石が選ばれた。


その後国民政府は蒋介石の南京国民政府と、
これに反対する汪兆銘らの「武漢国民政府」に分裂するが、
間もなく両者は合流、

北方軍閥の張作霖が日本軍によって爆殺された後、
張作霖の息子の張学良が蒋介石の傘下に入る。




南京の天安門、蒋介石が掲げられていました。


その後、満洲事変を契機に日本の後援により、
愛新覚羅溥儀を執政として東北部に満洲国が設立され、
さらに1937年に起きた盧溝橋事件を契機として、
中華民国は日本との全面戦争状態に入った。


これに対抗して日本軍は、国民党の反蒋介石派であった
汪兆銘を首班とした新たな国民政府(汪兆銘政権)を樹立する。




第二次世界大戦前の支那大陸の勢力図


その後、1941年12月に

日本とイギリス・アメリカ合衆国などとの間で戦争が始まり、
英米と友好関係にある

中華民国は連合国の主要国として枢軸国と対峙した。

蒋介石は、南京が落ちてからは、重慶に政府を起き

イギリス・アメリカから援蒋ルートより支援を受けた。


1945年9月2日の降伏文書調印により、

中華民国は第二次世界大戦での勝利が決定した。


■□■□■□■□■□


複雑な大陸の状況を簡単に書くとこうなります。

要は、英米の援助を受けた蒋介石の国民革命軍と、

日本軍・汪兆銘政府・満州国との戦いが続けられたのです。



ちょっとまて!


中国共産党は一体どこに?

と思った方もいらっしゃるでしょう。


当時、蒋介石から見ると

共産党(八路軍)は山にこもった匪賊でしかありませんでした。


そのため、共産党を討伐するため

山に兵を送り込んでいます。


ここで、毛沢東及び共産党の当時の

史実を振り返ってみます



〇中国の延安にとどまっていた毛沢東


史実を振り返ってみます。

毛沢東は、支那事変当時、どこにいたのでしょうか。




江西省で中華ソビエト区を

作って以降、国民党の攻撃を迂回しつつ

各地を転々とし、1935年に延安に拠点を置きました。


1935~1948年まで
延安に拠点を置き、特に1945年までは
特段、延安を出なかった毛沢東。


当時の「長征」の様子。




延安にいたときの毛沢東のなど八路軍の幹部。



1940年代、「整風運動」という政治運動に力をいれていた毛沢東。


「1943年10月、中国共産党中央が

延安の楊家嶺というところからここ(延安の棗園)に引越ししてきた。

毛沢東、周恩来と劉少奇、朱徳などは、ここで仕事をしていた。・・・」

中国人民日報系放送局のインターネットページ「知るシル中国」より



■□■□■□■□■□



これが共産党の当時の状況です。


ちなみに毛沢東は、

日本と蒋介石軍(国民革命軍)を戦わせるため

意図的に山にこもっており

また、蒋介石からの攻撃も避けるため、

中華民国の一軍隊になりすましていました。


どういうことかというと・・・


1937年、紅軍(共産党軍)は国民革命軍第八路軍として

国民政府指揮下に編入されていたのです。

そのときの八路軍は、国民党でありながら

全面的に戦うことはしませんでした。

(この八路軍という名称は、その後も使われるようになるのです。)

山にこもっていた八路軍は
日本が敗戦してから、蒋介石を追い詰め

台湾へ突き落とします。


そして

1949年、中華人民共和国、建国となります。


■□■□■□■□■□



お分かりいただけましたでしょうか?



日本軍と全面的に戦っていたのは

蒋介石の軍隊でした。


共産党は、日本と戦ってもおらず

また勝利もしていません。


そのため、毛沢東が生きていた時代は

「抗日勝利式典」は

開催されたことはありませんでした。




今日、北京で開催される

この「勝利式典」が、

嘘の上に作られたパレードであることは

紛れもない事実です。



今日は

「この嘘の歴史をただす日である」

そう強く思います。



こちらもぜひお読みください!
【毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない】



抗議~ウソで塗り固められたパレード~【北京・抗日勝利式典】



当方、ブログランキングに参加させていただいております。

貴殿のご支援、よろしくお願い申し上げます。


人気ブログランキングへ

にほんブログ村