拝啓 中国共産党・国家主席習近平殿
貴国、ますますのご繁栄に心よりお喜び申し上げます。
貴国は、毛沢東主席の頃より
「昔からチベットは中国の一部だった」と
よくいっております。
「清の時代も、チベットは中国が支配していた」と。
本当にそうでしょうか?
■清の皇帝はチベット仏教の信者でした。
貴殿は
清朝の皇帝の肖像画を見たことはありますか?
巨大な数珠を首から下げています。
清朝の歴代皇帝は、チベット仏教を熱心に信仰し、
北京の紫禁城の奥には擁和宮に
チベット寺が、建てられていたりと、
皇族たちの信仰は深かったのです。
清朝皇帝は、
「満州人たちの部族長会議の議長
モンゴル人たちのハーンと、
漢人たちの皇帝と、
チベット仏教の最高施主と、
東トルキスタンのイスラム教徒たちの保護者」
という5つの役割を一人で兼ねた、同君連合の統治者でした。
○チベット、ウィグル、モンゴルは「清帝国の領土である」と
主張はしていたが、あくまで間接統治だったのです。
今のように、漢民族という一つの民族だけが、
自治権を有している状態ではありませんでした。
■清とチベットは、対等な関係でした。
「パンチェン・ラマ3世が北京を訪れた時、
清の乾隆帝は彼と同じ高さの席に座り、破格の厚遇をした」
というのをご存知でしょうか?
チベットは、少なくとも1800年代まで仏教の聖地であったことは
間違いありません。
チベット周辺のみならず、
モンゴルや満州まで広くその信者が広まっていました。
その意味では、チベットは頂点にたっていたのです。
菩薩を崇め、宗教や文化の源流がチベットだった.
当時の世界観を、今一度、見直されてはいかがでしょうか?
■満州国でもチベット仏教は広まっていました。
貴国が、中国東北部といっている
満洲では、その昔、ダライ・ラマ13世の肖像画が、
満人の家によく飾られていました。
おそらくご覧になった共産党の方もいらっしゃるでしょう。
○清朝廷はチベット仏教を信仰していたので、
チベット・ラサ王宮の高層建築の様式を受け継いでいます。
貴国は、チベットを「遅れた未開の地」といっていますが
宗教が、これほど多くの地域に広まっているのに
なぜそう言い切ることができるのでしょう?
チベット仏教は、モンゴルや、ネパールなどにも広まっています。
清が倒れ
中華民国となりましたが
英国などの侵攻を受け
統一どころではありませんでした。
中華民国は、
実質的なチベットの領土支配は行っていません。
漢民族の中国がチベットを
支配し続けたというのは真実ですか?
乱文乱筆お許しください。
それでは快いお返事お待ちしております。
敬具
★☆★★☆★★☆★★☆★
中国では
「チベットは昔から中国の一部だった」
「遅れた農奴の土地」
「毛沢東主席が、ダライラマ一派を追い出し近代化した」
という捏造の歴史を教えています。
そしてそのウソを、日本のマスコミは鵜呑みにし
文献をかえりみるともなく、新聞、テレビで報じることがあります。
その欺瞞に気付くとき、真実の歴史が見えてきます。
実は、中国は過去、何度も侵略をしています。
下記にて解説させて頂いております。
本日も、お読みいただきありがとうございます。
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■中国の真実に迫る
~神秘の宗教国 チベット
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